よく、男女のすれ違いを「小さなボタンの掛け違い」と表現しますよね。
占い師に元彼とのことを見てもらったとき
「ただ、小さなボタンの掛け違いだから、時間が経てばまた連絡が取れるようになります!」
とか言われ、
「じゃあ小さな誤解があるだけなんだ!」
なんて思ってしまったことがありました。
でも、ボタンの掛け違いには、取り返しがきくときと、きかないときがある、と今なら分かります。
例えば、今盛り上がってるドラマ「カルテット」の6話。ネタバレはこちらでしてるので観てない方はどうぞ
この真紀と幹夫の夫婦がすれ違っていく過程は、「小さなボタンの掛け違い」の積み重ねではありますが、そもそも「何故ボタンの掛け違いが起こったのか?」を考えると、
2人が考えていたことがま逆だったから
という、全く取り返しがつかないことが原因でボタンの掛け違いが起こったことが分かります。
「ずっと恋人同士のように、トキメキが欲しかった夫」と「気を遣わなくて良い、安らいだ家族になりたかった妻」
「映画や詩集を読んで、自分と同じように感動して欲しかった夫」と「全く価値観が違って面白い人だなぁと思っていた妻」。
「あのとき、ああしてたら。こうしてたら」なんてタラレバ考えても、そもそも目指していた方向が違ったんだから、また別の場所でボタンの掛け違いは起こったはずです。
例え話し合っても、どちらかが自分の希望を捨てて相手に合わせなければいけなくなるだけ。
根本的な違いがあったからこそ起こった掛け違いは、無理矢理修正することは難しい。
ただ、このドラマ7話で辛かったのは、
「こんな人生なんて要らない」
と、真紀が夫に一緒に逃げようと提案したときに言ったことです。
大好きな夫に捨てられたから、ただその心の穴を埋めるために真紀はまたバイオリンを始めただけで、1番の希望は夫とまた暮らすこと。
大好きな人がいると、その人が側にいない人生なんて、無意味でくだらない、ただの暇つぶしみたいなものに感じてしまいます。
だから、大好きな人と価値観が違うのが分かったら、相手に無理矢理合わせてでも一緒にいたいと思うもの。
そんな無理をさせることを、相手は望んでいなくても。
「小さなボタンの掛け違い」は、お互いに納得がいく状態に戻せないなら、決定的な大問題になり、別れるしかない
片方が無理をしたくても、相手がそれをさせてくれないなら、出来ない。
嫌いになったワケじゃなくても、もう片方がボタンの掛け違いを不快に思うようになってしまっていたなら、その服は脱ぐしかない。
そして、もう一度その服を着るかどうかは、どちらか1人で決めることは出来ない。
理屈としてはシンプルなのに、やり直したい方はなかなかそれが認められず、苦しむことになりますね…
でも、ボタンの掛け違いの理由が「誤解」ではなく「価値観の違い」なら、やはり諦めるしかないんだなと改めて思いました。
出来ることならば、すれ違った理由が「誤解」なのか「価値観の違い」なのか、そこはキチンと話し合えたら良いんですけどね…
しかし今思い返すと、私はその「価値観の違い」を面と向かって言われていても「そのくらい問題ない。そんなことを気にするのは誤解があるからだ」なんて、思ってしまっていた気がします。
そしてそれは、今好きな人に対しても、好きになってもらえないのは根本的な違い以外にも、誤解もあるのではないか?と勝手に思ってしまっている自分に気付いてしまいました…
「誤解があるからだ」なんて思ってしまうのは、自分勝手な傲慢な感情なのかもしれませんね。