よく「新たな出会いがあっても、元彼と比べてしまって好きになれない」と言う人に
「記憶の中で元彼を美化しているだけなんだから、今現在あなたを愛していない元彼と比べてはダメ!」と正論を返す人がいませんか?
私はこれ、「元彼と比べる」の内容次第なので、「比べる」というキーワードだけで否定をするのは短絡的なんじゃないかな?と思っています。
これって相手が「元彼」だから否定されることであって、「父親と比べてしまう」「兄と比べてしまう」だったら、
「ファザコンやブラコンなんて子供だ」って返されながらも、
「まぁ女性ってそういう部分あるよな」
と、思われる気がします。やはり肉親って身近な異性でもあるので。
私は全く両親を好きではないのですが、でも2人が仲良くバカップルしていた時のことは、羨ましく思っていました。
機嫌が悪くなるとDVしまくりの家庭でしたが、機嫌が良いときの父は巫山戯て甘えたがりな人で、
「○ちゃん、髪切ったね、可愛いね!」
と帰宅するなり母に言ったり、
「○ちゃんの作るコロッケは最高だね!おかわり!」と言ったり、
娘としてはキツイのですが、母への愛のアピールがすごかったです。
兄は全く私が好きになる男性たちとは違うタイプの人なのですが(真面目で大人しく、家族の誰にも似ていない…)、
でも子供の頃は優しくて、身の回りのことを色々やってくれたり、友達と遊ぶときには私を連れていって面倒を見てくれる人でした。
私の元彼は、たまーに、そういう父や兄に似ている部分がありました。
巫山戯て甘えてきたり、くだらないことを言ったり、私をからかったりしてきて、2人で笑いあったり、お兄さんぶって色々世話を焼いてくれることもありました。
こういう部分は元彼の前後に好きになった人たちにもあったので、そもそも元を辿ると「元彼」ではなく「父親」や「兄」が持っていた良い点を、私は男性に求めているのかもしれません。
この根本的に求めている好みに加え、元彼が父や兄と違ったのは、一緒にいるとドキドキする気持ちと、1人でいるより落ち着く、ホッとする気持ちになれる部分でした。
長旅から自宅に帰ってきたときのような
「やっと辿り着いた快適な場所」
のような存在だった元彼への気持ちを、私はもう一度、他の男性との間でも感じたいと思っています。
「アラフォーになったら、若いときと同じ感覚で恋愛しようとしてはいけない」
という文章をネットで見ました。
高収入・高学歴・イケメン・高身長等の条件を求めてはいけない、自分の女としての価値が下がってるんだから、ということでした。
トキメキを感じる外見や内面の男性は、確かにもうすでに結婚していたり、彼女がいたりするでしょう。
私は自他共に認めるメンクイで、好きになるタイプはイケメンが多かったですが、イケメンでも一緒にいて落ち着く人と、全く落ち着かない人がいました。
両者の違いは、私といる時の空気感というか、私に対して壁を作ったり、見下したり、気を遣い過ぎたりしないで、ゆったりとホワッとした会話が出来るかどうか、だった気がします。
まーそういう空気感を作れる時点で、女慣れしてる人だったりするワケですが…
ので、最近まで憧れていた若いイケメン君も、遠くで見ている時はドキドキするけど、いざ話している時は、なんだか落ち着く人でした。
というか、このイケメン君は、元彼と外見は似ていないし、性格も全然違うのに、なんだか似ているところがあります。
2人共、私が機嫌が悪くなったときに、余裕のある態度でお兄さんぶったり、可愛く甘えたりしながら、こちらが怒っているのがバカバカしくなっちゃうような空気にしていくのが上手!
と書いて思いましたが、やっぱりコレって女慣れしているチャラ男だからかしら…
別にうちの父も兄もモテるタイプじゃないけど…
この肉親に対する接し方みたいなのを、他人に気軽に出来るというのがチャラ男のポイントなのかしら…?
となると、私が「元彼と比べてしまう」というポイントは、単に自分の好みのポイントを持っているかどうか?ということなので、元彼にしか無い魅力なワケではありません。
そして、モテるチャラ男でも、お互いが仲良くなりたいときには楽しかったけど、その気持ちが無くなった途端にギスギスして、全く楽しくもなく、落ち着く気持ちも無くなった人もいました。
なので、その人の外見や性格だけでなく、お互いが仲良くしたいと思っていなければ生まれない空気感、を私は求めています。
「アラフォーなんだから、そういう空気感を作れる人は諦めなきゃダメ」
と言われてしまったら、そもそも何のために恋がしたいのか分かりません。
結婚するため?孤独死しないため?
また「元彼と同じタイプを好きになってもまたうまくいかなくなるから、別のタイプを選んだ方が良い」って意見も聞きますね。
疑問なのですが、じゃあ「友達」は全員同じタイプでしょうか?
私が長続きする友人には、社交的なタイプも内向的なタイプもいます。
学生時代に仲良くなった人と、社会人になって仲良くなった人、趣味繋がりで仲良くなった人、みんなそれぞれ多少似たところはあっても、違うところもある。
「このタイプの人は好きだから仲良くなりたい」という始まりより、
「仲良くなれるのはこのタイプが多いなぁ」くらいの始まりが多い気がします。
学校や会社だと
「今のクラスメイト(同僚)より、前の人の方が気が合ったなぁ」
と思うことはあります。
全く合わない人ばかりで、環境に嫌気がさすこともあります。
「比べても仕方ないから、今の環境でどう上手くできるか考えよう」と思うときもあれば、
「やっぱりここの人とは合わないから、他の場所に落ち着く楽しい環境を作ろう」と思うときもあります。
前に仲が良かった人と全く同じ人間は他にはいないのは、当たり前。
でも、同じくらい一緒にいて楽しいと思える人と出会いたい。
そう思うのは、普通のことだと思います。
「友達と恋人は違う」と思う人もいるかもしれませんが、
「友達とはある一点の障害があるために恋愛にならない関係」
と、吉野朔実の「恋愛的瞬間」に書かれていたので、恋も友情の始まりも似ているものだと私は思います。
「このタイプの人とは最後はうまくいかなくなるから、友達になるのは止めよう」なんて、苦手なタイプ以外に思うことは無いですね、私は。
知り合いたての人に対して「良い子だけど、前に縁を切った友達と同じタイプだから仲良くなるのは止めよう」なんて思うのは、どれだけ高飛車な人間なんだって気もします。
要は、前の人とは別の魅力がある人と出会えれば、好きになれるだけ。それが無いから、比べてツマラナイ、好きになれない、と思うだけ。
別に元彼より優れている人を探してるいるワケでも、全く同じ人を探してるワケでもない。
ただ、長時間かけて作り上げた関係を、知り合いたての人に求めるのは難しいとは思います。
「元彼と出会ったときは、お互いどんどんすぐに惹かれあって仲良くなれたのに…」
と思っても、時間をかけたら他の人とも同じくらい仲良くなれるかもしれない。
「元彼と比べてしまって好きになれない」
の理由次第では、単なる高望みや夢見がちなのかもしれないけど、やっぱり人には合う合わないもあるから。
言葉としては「比べてしまっている」と出ていても、含まれている意味はそれぞれ違うと思うので、
「私は元彼のどこが好きで、どこを他の人にも求めているのかな?」
と考えることには意味があるかもしれないし、その結果からこの先のことを考えるのは、自分を見つめる機会になるんじゃないかな?と思います。
だから、「元彼と比べてしまう」=イケナイこと、ではない、と私は思います。
そして、そもそもその元彼の持っていた良い点は、肉親や身近な別の人の影響で好きになった部分かもしれないので、そのポイントまで諦めるというのは、またちょっと違うような気がしています。
そんな、数値で測れる条件だけで他人を好きになってるワケじゃないですもん。