ドラマ「母になる」をHuluで観たのですが、妊娠が分かって彼氏に電話したら呆然とした様子だったので不安に思い、でもいざ会ったら大喜びしていてプロポーズされた、というシーンと、子供が産まれたシーンで、ちょっとうるりとしました。
いいなぁ、こういうの。
私は子供出来たかも?って思ったことはあったけど、男性はにべもなく堕すの前提だったから、こうやって喜ばれて産める女性は羨ましいです。
結局あの時妊娠はしていなかったけど、その時もし出来ていて産んでいたら、このくらいの年齢だなぁと思うときはあります。
そしてその次に思ったのは、私が好きな人は、別の女性とこういう幸せな思いをしていくんだろうなぁ、いいなぁ、でも、幸せになってくれるならそれが1番良いことだよなぁと思いました。
元彼もこういう幸せな気持ちを味わう人生を送っているのかな?
私のように、1人で虚しい思いをしているよりは、こういう幸せを手に入れていて欲しい。
別れたばかりのときも、引きずっていたときも
「あいつだけ幸せになるなんて許せない!」
って気持ちはぶっちゃけあったのですが、今はそんな風には思いません。
でも、そうやって相手の幸せを願えるのが正しいのとだとは思わないし、それが本当の愛だとも思いません。
元彼なり、最近まで好きだった人の幸せを願えるのは、所詮他人事だからです。
私の人生には関係の無い、遠い場所にいる他人事。
ただ、男性のことはともかく、相手の女性に対しては、嫉妬のような羨望のような、負けた悔しさのような気持ちが湧きあがります。
「私の知らない女性が、私が好きだった男性と、私が欲しかった幸せを手に入れる」
これは失恋した女性、特に、略奪愛された女性なら、もっと激しく思って、苦しむ感情なんでしょうね。
女の敵は女、と言いますが、それは確かにそうです。
別にその女性が存在しなくても、別の女性がその席に座るのでしょうが。
って男女はそんな回転寿司みたいなものなのかな?
自分自身は、そんなすぐに次々恋人は出来ない人生ですが、それでも次々に好きな男性は出来ているし、ホント「東京タラレバ娘」の回っていない一直線のお寿司みたい。
だんだん、お皿に手を伸ばしても届かなくなってますが…
まぁ、それでも私の場合は、相手の女性がどんな人か知らないので、まだそこまでリアルにアレコレ妄想することはありませんが、身近な女性が好きな人と一緒になっちゃった人は、想像するだに恐ろしい気持ちを味わうハメになるんでしょうね…。
そういう気持ちを知ってしまうと、ドラマや映画や街中でも、幸せを手にしている女性を見ると辛くなります。
失恋した直後は、若くてオシャレした可愛い女性を見る度に
「私がこんな風なら、私が望む幸せを手に入れられたんだろうなぁ」
と虚しい気持ちになります。
それが昂じて、通り魔をする女性が出てきたりするのかなぁ。
他人の幸せを微笑ましく思う気持ちは、確かにあります。
それでも、自分の中で、「負けた」と言うより「自分は惨めだ」と言う気持ちが生まれてしまいます。
それは勝ち負けと言うことではなく、
「欲しかったものを手に入れられなかった」
と言うことを、まざまざと見せつけられている気持ちになるから、な気がします。
元彼に振られた直後は、若い可愛い素敵な女の子を街で見かけると
「あぁいう子なら、元彼から振られないで、楽しく幸せな人生を送れるんだろうな」
と思って、やはり惨めな気持ちになりました。
よくよく考えたら、別に若い頃も私は幸せだったワケでは無いし、人の人生は傍目から見ただけでは分かりませんが。
私がこういうことを考えるとき思い出すのは、小林聡美です。
「やっぱり猫が好き」が大好きだったので、3姉妹の女優さんそれぞれのエッセイも、三谷幸喜のエッセイも読んでいました。
小林聡美も三谷幸喜も、夫婦時代はとても楽しそうなエピソードを色々書いていました。
最近の三谷幸喜のエッセイは読んでいませんが、再婚した奥様と子供のことを書いているそうですね。
小林聡美は大好きな女優さんだし、マイペースなしっかり者で憧れます。
小泉今日子に通じる、良い歳の取り方をした女性というイメージです。
あぁいう女性は、元旦那さんの現在の幸せを、心から嬉しく思えそうな気がしますが、どうなんでしょう?
篠原涼子が奪略婚した市村正親の元奥様は、
「いつか彼は私の元を去ると思っていたから、子供は作らなかったし、離婚も納得した」
と言った、とネット記事で読んだことがあります。
もし小林聡美や、市村正親の元奥さんが、本当に元旦那さんの幸せを願えていて、そして自分にはいない子供のことも微笑ましく見られるのなら、私はそんな女性になってみたい。
他人の幸せを見て、惨めになったりしないで、心から祝福できる人になりたい。
でも、そうなくてはいけない、とは思いません。
祝福できてもできなくても、自分は自分で選んだ感情を持てれば良い。
いつかそんな、達観した気持ちになれたら、私はもっと楽しい気持ちで日々を過ごせるんじゃないかな?と思っています。