復縁失敗後の40代独身女性のための元気レシピ

今でも忘れられない、復縁した元彼。でも連絡は完全無視されていて辛い…そんなアラフォー女性が元気になれる方法を実体験を元にお伝えします!

暴力に慣れて依存してしまう気持ち

今日は同僚たちに友達のDVのことを聞いてもらいました。

 

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皆んな同じ意見なのは

「20代前半とか、付き合って数ヶ月でDV男だと分かったら『別れなよ』と言うけど、アラフォーで何年も付き合っている相手なら、本人が自分で選んだことだから仕方ない」

というものでした。

 

まだ人を見る目が無いとか、相手をよく知らないとかなら、別れを勧めたいです。

単にアラフォーってだけで「次の人を探すのが大変だから」って理由だけなら、やはり別れを勧めたい。

でも、もう夫婦同然の仲なら、それは2人が選んだ道だと思うのです。

 じゃりン子チエのお母さんが、夫が働かないとか暴力的だとかいうのに愛想を尽かして別居を選んでも、やっぱりお互い好きあっているから離婚をしない、みたいな。

(実際はお母さんの方が強くて賢くて、テツは美人な奥さんのことが大好き過ぎて一緒にいると緊張しちゃうという、めちゃくちゃ可愛い夫婦なのですが)

 

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夫婦間でDVに耐えている人なら、金銭的なこととか他の問題もあって決断し辛くなるでしょうが、まだ結婚前で、いくらでも良い出会いのある華やかな美女の友人が、あえてその彼と付き合い続けているなら、誰も文句は言えません。

 

ただ、この友達カップルは結婚の意思確認をし合っている状況だから仕方ないけど、DV男と一旦別れた後、やはり復縁したいと望む女性がいた場合は

「目を覚まして!」

と思いますね。

 

私は親がDVで、ブラック会社に勤めていた身なので何となく分かるのですが、暴力に慣れていると、不幸な状況に安心してしまうところがあるんです。

不幸な状況の方が、小さな幸せでも喜べる。

もちろん嫌いな人からの暴力は許さないのですが、好きな人や才能を認めている人からの暴力って、喜怒哀楽が分かりやすくて楽なんです。

 

私の同僚に明らかに躁鬱病で、嫌なマウンティングをしてくる大嫌いな男がいるのですが、この人がいるからこそ、私はニコニコとして八方美人の鈴木さんを好きになりました。

躁鬱男に関しては何度かネタにしています。

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今日もその躁鬱が嫌なことしてきたのですが、その後鈴木さんと2人で話して癒されました。

もちろん鈴木さんとは男女としては未来が無いけど、同僚として職場内でキャッキャウフフするのは、かなりの癒しです。

特に今日は友達の件でも落ち込んでいたので、鈴木さんに甘えてしまいました。

鈴木さんもそういう空気を読む人なので、友達の件などは話していないけど、いつもより私を甘やかしてくれました。

二人で見つめ合って冗談を言い合って、頼りになることを言ってくれて、ホント「オッサンが職場の若い女の子に癒やされている姿」そのものだったわ〜私。

 

私は嫌いな人と鈴木さんが別の人物だから、片方にムカついて、片方に甘えてってしていますが、これが同一人物というケースが「DV男への依存」だと思います。

傷付ける人と優しくしてくれる人が同一人物になると、1人になった時に、癒しも不幸も一気に無くなってしまって、虚無感に襲われると思います。

(一時期は鈴木さんはただ不幸の対象で、癒やしが無くてキツかったです…)

 

ただでさえ生きていくのって、辛い。

何となく嫌なことが続く、という状況に比べ、DVって分かりやすい不幸で、そのことを悩んでいる時には、他の不幸は小さなものに感じます。

 

この不幸との付き合い方を、仕事という目線でちょっと例えさせてください。

デザイン事務所ってブラックな会社が多いのですが、私が才能のある良い仕事をする、でも怒鳴り散らしたり長時間労働をさせる社長の下にいた時のことです。

その会社は有給も無く時間外手当も無く給料も安かったのですが、そんなことには文句が言えない空気がありました。

「デザイン事務所ってそういうもの」

という刷り込みもありましたし、そこに耐えるからこそ得られるものがあったのです。

だからみんな精神安定剤を飲みながら働いていました。

 

その会社を辞めた後、いくつかもっとキチンと保障もあり、お給料も良い会社に転職しました。しかし、ブラック会社の社長より才能も無い人に小さなパワハラをされると、「許せない!」と思いました。

お給料だの有給だのの条件なんて関係ない。

自分が認められる人からの暴力には耐えられるけど、そうじゃない人からのちょっとした嫌味は耐えられない。

 

これを恋愛に置き換えると、大好きなDV男と別れた後に、ちょっと条件だけで選んだ男性といるのって、退屈で不満だらけに感じるんじゃないかな?と思うのです。

私は所詮仕事だから、もうブラック会社には戻りたくありませんが、これが恋愛だったら、DV男を恋しく思うかもしれません。

そう思うのは不健康な考え方だな、とは頭で分かっていても、前に進みたいと思っていても、現状に満足できていない時は、つい後ろを振り返りたくなってしまうかも…

 

別の友人で、DVのような発言をする彼氏に振られた子がいました。

別れた直後は、一瞬寂しかったけど、すぐに楽な気持ちになったそうです。

長年のアトピー性皮膚炎が一気に改善したとか。

でも、別れて数ヶ月経ったとき、友人は寂しくて元彼に連絡してしまったそうです。

 

「また暴言を吐かれるかもしれない」

と怯えながら連絡をしたら、元彼は普通に応対してくれて、そこで彼女の中で何か憑き物が落ち、その後はもう連絡することは無かったのですが、もしかしたら友人は、元彼の分かりやすいDVが恋しくなっていたのかもしれません。

彼女もまた、分かりやすい不幸に落ち着くタイプです。

優しい男性といるとワガママ三昧になってしまい、DV男には我慢して尽くしてしまいます。

 

DV男と付き合っている時には会社への不満を感じなかったけど、優しい男性と付き合っている時は、会社への不満がたくさんあったようです。

はたから見ると寂しいことなんですけどね…

そういう気持ちで、暴力に慣れて依存してしまう人がいるのかな、という気がします。

 

でもそれって、「良かった探し」ならぬ「不幸探し」なんですよね。

不幸な方がホッとするって、やっぱりそれって、自分の心の中の穴みたいなものだと思います。

その穴を埋められるのは、暴力じゃないんじゃないかな?

そもそもの自分の中の価値観みたいなのを考えていかないと、人生の終わりに虚しくなりそう。

他人の幸せばかり羨んで、自分の不幸を嘆いて、でもそれが快感だなんて、周囲は見ていて辛いです。

 

暴力は分かりやすい不幸だから、ついそれを側に置くことで安心出来てしまう気持ち、私は分からなくもないです。

でもやっぱり、好きな男性には優しくして欲しいし、その人から暴力は受けたくない。

だったら付き合えなくても、表面的にでも、優しくしてくれる人の存在を癒しに、毎日の不幸を乗り越えるだけでいいかなぁ。

 

大きな不幸も大きな幸福も無くてもいい。

ただ、酷く傷付きたくない。

人としての尊厳を失いたくない。

嫌なことがあっても、お天気や美味しい食べ物に癒される、のんびりした平和な人生がいいな。

そんなことをぼんやりと考えました。

「普通」が何か、つい分からなくなりがちなんですけどね。

人生の選択、特に恋愛という他人との関わりって、閉鎖的だから判断が難しいですね…

 

先程テレビで、上野樹里が奥さん役の大和ハウスのCMが流れていました。

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「夫は握力もなく、頼りがいはないけど、優しい」

そういう男性といることを幸せと思う女性もいれば、やはり物足りないと思う女性もいると思います。

どちらが正しいか、じゃなく、どちらが周囲を安心させられるか、の違いな気もする。

私はきっとこの旦那さんだと、イライラしてしまってダメかもしれません…

でもここまで優しくなくて良いから、暴力は振るわない人がいいな。

暴力に依存して幸せを感じる生活は、やっぱりもう戻りたくないなと思ってしまいます。

ってことで神様、私の目の前からとりあえず躁鬱男を消してください…

無駄な不幸もうイラナイ…