羽海野チカ「3月のライオン」の13巻が出ました。
アニメ化や映画化をしたのでご存知の方も多いだろうと思うのですが、将棋の棋士のお話です。
今、主人公の零が親しくしている川本3姉妹の長女あかりが、恋をするかも?という展開になってきています。
相手は棋士の島田さんか、零の高校の教師・林田先生か?島田さんはまだあかりに好意があるかどうか分からないけど…
川本3姉妹の家族構成は、20代半ばのあかり、次女の高校1年のひなた、幼稚園生のモモ。
父親はモモが産まれる前に家族を捨てて別の女性の元に走り、母親はその後失意のまま病気で亡くなっています。
なのであかりが母親がわりになって、妹たちの面倒を見ています。
この父親は以前登場したのですが、とにかくクズでした。
新たな奥さんと子供がいても、また別の女性を好きになり、その過程を「妻子捨男」というハンドルネームでブログ投稿していたという…
で、奥さんと子供をあかりに押し付けて別の女性の元に走ろうとしたのを、零が跳ね除けるというエピソードがありました。
13巻であかりは、転びそうになった時に支えてくれた島田さんと先生のことを思い出しながらも、「父親が去った時に、自分は人を好きになる恐ろしさを一生分味わってしまった」と回想しました。
姉妹の母親は、仕事が嫌になって働かなくなり、他の女性に走る夫のことを、健気にずっと愛していました。
そんな母親と自分たちへの愛を失っていく父親をずっと見ていた17歳のあかりは、「人を好きになることはこんなにも恐ろしいことなのか」と思ってしまっていたのです。
所詮お話なのですが、妻子捨男のエピソードは羽海野チカさんが実際に周囲で見聞きしたものを使っていたそうです。
他人事なら「全ての男がそんなクズなワケじゃないんだから、相手をキチンと見極めれば大丈夫だよ」と軽く言えますが、それでもそんな辛い体験をしてしまった心の傷は、そうそう消えないトラウマになるだろうなぁと思いました。
私は川本姉妹のような思いをしたことはありませんが、それでも
「もう失恋はしたくない」
と思いながら、何度も男性を好きになりました。
好きになりかけた男性が女友達と付き合いだした時も
「もうこんな嫌な思いをするなら、生きていたくないな」
と思ったのに、その後すぐに鈴木さんにぽ〜っとなりました。
失恋するたびに、
「元彼と付き合っていた時に、もっと優しくしていたら良かった」
と後悔します。あんなに元彼に振られた時に辛かったのに、また他の男性に思いが届かなくて苦しむなら、もう失恋はしたくない。
でも、子供の頃からずっと「たった1人の大好きな人に愛されること」を望んでいたので、恋をすること自体を諦められずにいます。
重い!我ながら、重い!
こんなに好きになった人に、好きになってもらえない。
そんな思いを味わったことがある人は、たくさんいると思います。
それでも人はまた誰かを好きになったり、誰も好きになれなくても日々を過ごしていけるって分かってるのですが、孤独感で手足がキュッと冷たくなります。
大学時代の彼氏とそのまま結婚した人を見ると、ほとんど失恋をしたことが無いのが羨ましくて仕方ありません。
鈴木さんを好きな間、色んな恋愛マニュアルを読み、ネットの恋愛相談やブログを見ました。
その中のほとんどに
「好きな相手に、キモい怖い重い面倒ウザいと思われない方法」
が書かれていました。
そういうのを読まなくなってから、私はまた重く面倒な女になってしまったので、やはりそういう話を見聞きするのは大事なんだろう、とは思います。
でもそういうマニュアルを読んでいる時は、いつも自分を卑下して、手足を縛られている気持ちになりました。
好きな人に好きな気持ちを伝える手順を、マニュアル通りにやらないと嫌われる。
マニュアル通りにやっても相手にされないこともある。
そんな不安を感じながら、好きな人に優しくして、笑い合って、でも好きになってもらえなくて苦しむ。
そういう思いをしたくなくて、「結婚と恋愛は別物」と割り切って婚活するには、私はもう年齢を重ね過ぎてしまいましたが…
やっぱり怖い思いはもうしたくないけど、人を好きになりたいとは思います。
ただ、人を好きになれればそれでOKではないのが難しい…
深く考えるのもアホらしい、もういいや、やりたいようにやろうって思い始めて数ヶ月経ちますが、色んな人の恋愛話を見聞きするのは楽しいし、自分もそれを応用活用したくなる気持ちは、まだまだあります。
でも、自尊心が傷付くことや、相手に迷惑をかけることは、しないように気をつけなくては。
相手に嫌われたりウザがられるのに怯えながら、普通のフリをするのが思い遣り。
とか考え出すと、なんだか後ろ向きな考え方なのか、普通そんなもんなのか、よく分からなくなります…。
羽海野チカのマンガは、一見可愛らしくてポワポワしているのに、時々どす黒い重い、でも共感できる黒い感情が描かれることがあります。
最近私が好きなマンガは、そういう善悪がハッキリしていないモヤモヤを描いたモノが多いです。
黒い感情が沸いて出た時に、
「分かる分かる、私もそういう時ある!」
とは思うけれど、その感情を表に出すか?とか、どう折り合いを付けるか?は、実は人によってかなり違いますよね。
羽海野チカの描く人々は、そういうどす黒い気持ちを自分で認めながらも、他人には見せていないことが多いです。
で、それに誰かがそっと気付いてくれていたりして、羨ましい!
私はその黒い感情を、自分なりに抑えながらも、でも我慢できずに出してしまうことが多々あります。
そしてそれは、自分が期待した方向とは違って捉えられて、悪い想像通りになってしまいます。
ありのままの素直な自分を出したらダメになる、とか経験してしまうと、ホント色々もう嫌になっちゃう。
感情に蓋をするのが正しいのか?それでも相手を変えたり、言い方を変えたらうまくいくのか?
その答えを、ブログを始めたときからずっと探しています。
マンガだと「もっと素直に思ったことを言っていいんだよ〜」って描かれてるけど、現実ではそうすると余計悪い方向にいっちゃったりするのは、どうしてなんだろう?
そういうことって、一人で頭の中で考えているだけでは答えが出ません。
他人の話を冷静な時に見聞きしても、いざという時には頭の中で描いた通りには出来なかったりするし。
そうやって疲れてしまった時に、マンガを読みます。
そうするとハッと気付く客観性があったり、共感があったり、世の中には色んな価値観があるんだなぁと思えますね。
話戻って「3月のライオン」の13巻で、林田先生はあかりへの片思いに行動を起こすべきか悩み、島田と自分を比較して悩み、それでも行動を起こそうとします。
大抵のマンガの中では、片思いをしたら行動を起こすのが正義です。
実際には、行動には起こさないほうが良い時もある、というか、行動を起こせる状況に持っていくための行動が必要になったりするのですが、そこの葛藤も13巻では描かれていて、微笑ましかったし、苦しくなりました。
あかりは、どちらを選ぶのかな?
これまで林田先生のあかりへの気持ちは、ちょっとふざけた感じで、桐山が冷ややかな目で笑って見ている感じだったのに、グッと真剣になってきたのでドキドキします。
もし林田先生が振られてしまったとしても、よくある脇役が振られても笑って相手の幸せを願う感じで終わるのではなく、もう少し心の奥の感情を描いてくれたらいいなあ。
14巻も楽しみな、過去に「お前は少女マンガの読みすぎだ!」と振られる時に言われたことが2度もある私なのでした。