友人が昨日Twitterで、「この気持ちをこんな風に言葉にしてくれてる記事、初めてみた!」とある記事をリツイートしていました。
こちらの27歳の佐々木ののかさんが書いている記事です。
アラフォー独身の友人が絶賛したのも納得で、
「独身の私を祝え!」
という言葉に笑ってしまいました。
そして、独身祝いにお寿司をくれるような同僚がいるって素敵だなぁとホッコリしました。
私はあんまり、「独りでも楽しい」とか「絶対結婚したい」とか、分かりやすくカテゴライズされる言葉は書かないようにしています。
その中間くらいのところで、ふわ〜っとしているようで、それぞれみんな抱えているものがある、って感じにした方が書くのが楽だからです。
以前、歳上の女性と親しくしていた時に、あれこれダメ出しばかりされてウンザリしたことがありました。
「どうしてそんなことばかり言うの?」
と聞いたら
「だって、結婚したい、恋愛したいって言ってるからアドバイスしてるつもりなんだよ。
そういうこと言われたくなかったら、結婚したいとか言わない方がいいよ」
と言われたので、それからは身近な人には
「好きな人と結婚したいけど、誰でもいいとは思わない」
という言い方をするようにしています。
でも書きましたが、「アドバイス」をキチンと相手に聞き入れてもらえるように話すのって、すごく難しいことだし、その多くは「余計なお世話」と言われて終わってしまうものです。
つーか、アドバイスしてくれって頼んでるわけじゃないのに、なんで「結婚したい」って意見を言うと「アドバイスを求められてる」って思うんだろう?
そしてそう思い込ませた方が悪いっていう価値観が、私としては納得いかないんですよね。
でもまぁ、確かに人が願望を口にしていたら、ついついアドバイスしてしまいたくなりますし、私も気付かずによくやってるんだろうとは思います。
そういう世間のお節介なアドバイスに、苦しめられてしまう人たちがいます。
先日メインブログで紹介した、漫画家の山田花子さんも、その一人でした。
私の友達は大抵山田花子さんのことを知ってるんですが、やはり世間的には今はそこまで有名ではないのかもしれませんね。
統合失調症を患い、24歳で飛び降りて亡くなった方です。
彼女のマンガを読むと、周囲からのお節介なアドバイスにいかに苦しんでいたか、気持ちが分かって辛くなります。
少女が野原でツクシを摘んでいたら
「あ〜ら、可哀想なことするのね〜え」
と、それを見たおばさんが横にいる子供に話しかけます。
少女はその言葉にどうして良いか分からなくなり、立ち上がるときにツクシを捨てます。
するとおばさんは
「何も捨てることないのにね〜え」
と、また横にいる子供に話しかけ、少女は泣きながらその場を立ち去る
という2ページくらいのお話が掲載されていました。
皆さんもこういうおばさんみたいな人の言葉にイラッとしたこと、ないですか?
山田花子さんのことを「早過ぎた天才」と言う人がいます。
ネットの普及した今なら、彼女の理解者は多かったのではないか?とのことで、確かにそうかもなぁと思います。
「普通こうするはず」「普通こう考えるはず」という観念の元に、他者にアドバイスをしたがる人はネットの中には本当に多いですね。
ブログという副業を始めてから、何度もそういう類のコメントを頂いています。
ただ、ぶっちゃけますと、私、別にアドバイスを求めてないんですよ。
アドバイスを求めたいことは、リアルな友人に話しています。
冒頭の佐々木ののかさんは、多分「アドバイスをしてくる価値観の合わない人向け」ではなく、「共感してくれる人向け」に書いていると思います。
もちろん、価値観の合わない人が
「こういうアドバイスを嫌がる人もいるんだ」
と気付いてくれたら良いな、とも思っていると思いますが、そういう人に理解して欲しくて書いているワケでは無いと思います。
私もこのブログは、執着心と縁の無い方のことは考えずにやっています。
執着心の強い人に寄り添う形にしているので、一般論で他者の感情を否定しないようにしたい、と思っています。
以前コメント頂いたときも書いていますが、ここはそういうテーマで運営してるブログです。
元彼を引きずるとか、脈ナシ片思いした人を引きずるとか、世間的には笑われることなんでしょうが、実際にはそういう悩みを抱えていて、どうしていけば良いか分からなくなってる人はたくさんいると思います。
そういう人に正論をアドバイスするのは、以前メインブログでご紹介した本「うつを癒す話の聞き方」でもダメだ、と書かれていました。
マンガで分かる心療内科 うつを癒す話の聞き方編 (ヤングキングコミックス)
- 作者: ソウゆうきゆう
- 出版社/メーカー: 少年画報社
- 発売日: 2017/08/30
- メディア: コミック
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「アンタに何が分かるの?」
と言われてお終いになるだけなんですって。
そういう時は
「どうしてそう思うの?」
と聞き出すのが良いそうです。
このNGな返し方ってのが9パターンくらい書かれていたんですが、そのほとんどがネットの相談サイトなどで見かける回答欄の言葉そのまんまでした。
「無料だから許されるけど、精神科医がそんな答え方をしたらダメです」
と書かれていて、すごく面白かったです。
私はカウンセラーではなくブロガーなので、似た悩みを抱えている方に
「私はこう思ってるけど、あなたはどう?」
と投げかける気持ちでブログを書いています。
が、その意図を悩んでいない方に汲んでもらいたいとは思っていません。
身近な人が私と同じ状況だった時に
「こんな風に思ってるのかな?」とか
「こんなアドバイスはしない方が良いんだな」
と参考にして頂けたら有難いですが、私個人の価値観を否定する方には
「ターゲットと違うんで、発言小町とか行かれた方がいいですよ」
と思っています。
いやーアドバイスしようと思って頂くのは有難いんです。
ただ、ここはそういう場では無いんです。
悩んでいる人が傷を舐め合う場でもないつもりです。
そういう意図で、キーワードを選定し、煽るようなタイトルを付けています。
それを鵜呑みにしてコメントを書く方を見て、「なんてピュアな人なんだろう」と思っています。
友人にも先日
「ブログに書かれてることを私の全てと思って、考えを否定するコメントを書く人がチラホラいるんだけど、これはそういうテーマの場だと思わないのかな?」
と言ったら
「ブログっていう性質上、書かれていること全てが人格の全体像だと思う人は出やすいだろうね。
テレビ観て鵜呑みにして苦情の電話する人たちみたいな感じなんじゃん?
そういう意図で作られて編集されてるって思わないんだろうね」
と言われて、なるほどーと思いました。
あえて書きます。
私がコメント欄で頂く「そんな考え方じゃダメ」という言葉は、実はこのブログでは
「そんなこと言う人の言葉に、耳を貸すな」
という方向に利用しています。
私のような価値観を否定しない、という多様性、自由も認められるべきです。
だってここは、ネットの中だから。
私は別に犯罪を推奨しているワケじゃないし、こういう風に執着心で悩んで追い詰められてしまう人が他にもいるってことを知っています。
人は表面的にどんな言葉を口にしていようと、心の中で考えていることは分かりません。
テレビや小説だと「これが一般的だろう」と思われる価値観で描いていかないといけないので、ある程度分かりやすくカテゴライズされていますが、ネットの中ではニッチな層に向けた方が検索に引っかかりやすくなります。
そして、そういう少数派の意見が読めるのが、ネットの良いところです。
だから、「そんな考え方じゃダメ」と身近な人やネット内の人に言われたり、心の中の自分に言われて追い詰められてしまっている人は、あなたを認めてくれて、前を向かせてくれるものだけを選んで、受け取ってください。
例え少数派でも、あなたが犯罪を犯していない限りは、あなたの自由は認められています。
他人の考え方を否定する権利は、誰にもありません。
ただ、鬱のように病気になってしまっているなら、カウンセリングや認知行動療法を受けることも考えてみてください。
少数派でも、病んでいても、自分の幸せを考えて、生きていく権利があります。
余計なアドバイスをしている側だって、悪意はなくて、「あなたのことを考えて言ってあげてる」と思っている人が多いです。
だから、その気持ちだけ「ありがとう」と感謝して、でもそれ以上は聞かず、内容には耳を貸さなくても良いです。
「耳が痛いアドバイスは貴重」とは限りません。
今はこういう、一般論に縛られない心の自由を推奨する媒体が増えています。
そうやって一般論に縛られている人も、正しいと思うし、生きやすいだろうとは思います。
私はもう、美術系の人間って時点で、普通のルートから外れてしまってますからね…
その分、「普通」と言われる人たちとの違いについては、考えてきています。
自由に自分の考えを大事にして、それを仕事にしている人はたくさんいます。
そういう生き方もある、と開き直ること。
普段はこういうことを書くと「開き直ってて醜い」みたいに思う人がいるんだろうな〜と思うので書いていないのですが、久々にまたこういうことについて考えたので書いてみました。
自分の人生に責任を持つのは、自分自身ですからね。
小説みたいに簡単には前に進めないけど、自分なりに、お互い道を探していきましょう!