復縁失敗後の40代独身女性のための元気レシピ

今でも忘れられない、復縁した元彼。でも連絡は完全無視されていて辛い…そんなアラフォー女性が元気になれる方法を実体験を元にお伝えします!

「頑張っても出来ない」と「努力が足りない」は別物

鈴木さんに送ったお説教メールに、とても丁寧な謝罪の返信が来ました。

お説教出来るような人間ではない私は、その後フォローとして某キャラクターのカードの裏に「がんばりましょう!」と書いて机に置き、それに対するお礼メールが来たので

「私もお説教メールを送った後で、上司からこんな風に怒られたんだ。お互い頑張りましょう!」と返信しました。

 

ここ最近は、あくまでも「可愛がってる後輩」として鈴木さんに接しています。

鈴木さんだけでなく、今日なぜか不機嫌だった若者には

「何でご機嫌斜めなの?」と聞いた後に、

「じゃあこれでご機嫌直してねー」とお土産のお菓子を渡しました。

若くて可愛い女の子とも、オタクな趣味トークをして笑い合いました。

これぞ、正しきおばちゃん!

 

もちろん常日頃良い人なわけではなく、私は喜怒哀楽激しくダメなところがたくさんありますが、それでも時には「良い人に思われたい」と思いながら行動してしまいます。

ま、こういう波のあるタイプの人ほど面倒なものですけどね。

「自分ならこうされたら嬉しい」と思う行動と、本当に相手が喜ぶ行動は違うかもしれませんが、でも相手が喜ぶ行動を察して動くことは難しいです。

 

私は今だにコミュニケーション能力に関してお説教をされるのですが、昨日学生時代からの友人に

「そもそも、私にコミュニケーション能力の高さを求められても、無理!」

と開き直った発言をしたら、笑われました。

 

友人は私と違って内向的でクールなタイプで、小さな声でボソボソと面白い話をするタイプです。

共通のやはり学生時代からの友人は、一見穏やかでお人好しで平和主義ですが、内弁慶で気の強いタイプです。

この友人2人は私ほどコミュニケーションで問題を起こすことはありませんが、その代わり我慢を積み重ねて鬱病になり、退職した過去があります。

 

私たちは子供の頃から、1人で部屋にこもって絵を描くのが好きだった人種。

自分の趣味に没頭するのが好きで、マイペースで、やりたくないことを無理して出来ない。

「個性」について考えてきた私たちに、リア充と同じレベルの社交性を求めないで欲しい!

 

長年の付き合いだからこそ、私たちは意見が合わないことがあっても尊重し合い、共通のことだけ笑って話すことが出来ます。

お互いの弱さを知っているから、それに対して

「もっとこうしたら良いのに」

など無駄な不愉快にさせるだけのアドバイスはしなくなりました。

この関係と同レベルのことを、単なる同僚にやってあげることは難しいし、自分にそう接して欲しいと望むことはできません。

 

30代を過ぎてから、なかなか新しい友達は出来づらくなりました。

最初は意気投合して仲良く出来ても、数ヶ月すると価値観のズレが見え始め、徐々に合わなくなってきてしまいます。

これを友人に話したら、やはり友人もSNSで趣味友達を作っても、段々とズレが出てくるし、そういうもんだよ、と言っていました。

「お互いにもう自我がハッキリしていて、ここは譲れないってのがあるからね」

という、まるで恋愛のようなことを言って笑い合いました。

 

もちろん、だからこそ新たな出会いを期待し過ぎずに楽しむことも出来ますが、自分には出来ないことを望まれるのはキツイです。

話好きで社交的なように私が振る舞うのは、自分がそうされたら嬉しいからであって、根は無愛想で面倒くさがりで自分勝手で、1人の時間が無いとイライラするタイプなのです。

 

私は過去に飛行機でパニック発作を起こして以来、拘束されることに極度に息苦しさを感じるようになりました。

身動き出来ない狭いお店には入らないし、集団で時間制限のある行動はなるべく避け、必要な時は前後に1人でゆっくりする時間をシッカリ取ります。

思い返せば、子供のころから集団行動が大嫌いでした。

 

そういう私の内面を知らず「ワガママだ」とか「ちゃんと周囲のことを考えたら、合わせた行動が出来るはずだ」と言われても、無理なんです。

特に発達障害のテストなどはしたことがありませんが、頑張れば出来ることと、頑張っても出来ないことがあり、私は私なりに頑張っているつもりなのに「ちゃんと考えて」と言われても、無理なんですよ!

 

色々お説教されて不満が大爆発した結果、やっぱり私には「自分がされたら嬉しいことをする」「自分がされたら嫌なことはしない」という、幼稚園レベルとネットでは揶揄されることをしていくことしか出来ない、と開き直ることにしました。

 

今日親しい同僚にこれを宣言したら、やはり笑われました。

鈴木さんに対しては、一時期は「自分がしたいこと」と「相手がして欲しがっていること」の違いがよく分からなくなったり、自分が押さえられなくなったり、何が正しいのか分からなくなってしまったりしましたが、今はただただ優しく接することだけは間違いじゃないはず、と思っています。

 

私は他人が「普通」と思うことが出来ないのかもしれません。

でもそれを「考えれば出来るはずだ」と思われたり、後になってからアレコレとお説教されても、何も改善することは出来ない人間です。

文句があるなら、察して欲しいとか期待しないで「そういう時はこうして」と具体的に言って欲しい。

 

これ、面と向かって人に言っても、やってもらえないんです。

だから、鈴木さんには何かあったら、すぐに具体的に端的に、思ったことをメールで言うようにしています。

本音か社交辞令か分かりませんが

「勝手な意見ですが、今の段階でそう言ってもらえて良かったです」

と返信をもらって、意図は分からないけど、まぁ良かったと思うことにしよう、と思いました。

 

「自分がされたら嬉しい行動」をして、相手が喜んでくれたら嬉しいし、違っていて、そしてそれをその場で伝えてくれない人とは、距離を置くしかないのかもしれません。

私は私のことを1番に考えたいです。

だって、私の人生なんだから。

思い通りにならないことがある、と理解した上でなら、自我を通しても良いんじゃないかな?

代わりに、私も誰かに自我を押し付けないようにしなきゃいけない。

 

不特定多数の人たちに合わせて生きていきたい、なんて、私は思ったことがありません。

その方が自由に生きられることが多い、というのは知識として知っていますが、その為に納得出来ない嫌なことをしたくない。

「そんな風だからアラフォーで独身で彼氏がいないんだ」

と誰かに言われても、もう別に良いのです。

頑張っても出来ないことは、出来ない!

そんな風に開き直ることも、時と場合によっては必要なことかもな、と今は思っています。

それで後悔する日が来たら、その時また考えます!