結局、鈴木さんにある件で連絡してしまいました。
別に絶対連絡しなきゃいけない内容では無かったのですが、ちょっとある驚くことがあり
「知ってる?」
と聞いてしまったのです。
鈴木さんはそのことを全然知らなかったようで、短文で3往復くらいやり取りをしました。
こういうことを繰り返している内に、本来楽しかったはずの好きな人とのやりとりが、段々と自分を寂しい気持ちにさせるものに変わってしまう、というのは重々承知の上なのに、何回繰り返すのやら。
そう思うと、元彼がスッパリと連絡を断ち切ったのも、最後にもう少し誠実な言葉があった後なら良かったんだろうなぁと思います。
「脈ナシの片思いをズルズルと続けてはいけない」とか
「本命じゃないなら、楽しい時だけ共有してスッパリと切らないといけない」とか
色んな恋愛マニュアル的な言葉はあるけれど、その言葉を知っていたら即実行出来るものではありません。
理由を聞かれても、人はそういうモノだとしか言えません。機械じゃないんだからさ。
こんな私も、他人事なら
「あなたなら、目先を変えたらもっと合う良い人がすぐに見つかると思うよ」
とか言いたくなります。
恋愛話になると、人はすぐに知ったかぶりしてアドバイスしたくなるものです。
でも、そういうアドバイスは大抵は、悩んでいる人の問題自体を解決するものではありません。
「目の前に大きな石があって、目的地に行けません」
と言う人に
「その目的地にはどうせ行けないし、他にもっと良い場所があるはずだから、道を変えなよ」
とアドバイスするのと同じことのように思えます。
確かに、その石を砕くことも、どかすことも出来ない。
目的地には、実は何も無いかもしれない。
でも、それと「目的地に行きたい」という気持ちは別の物。
他の場所に行ったら確かに楽で楽しいこともあるかもしれないけど、だから諦める、というか、諦めない人は馬鹿、というのも、つまらない考えだなぁと思ったりします。
頑張ってもどうにもならないことを、本人がキチンと納得する瞬間というのは、突然自分の中に湧いてくるものなので、他人がどうこう説得しようとしてもダメなんじゃないかな?
ただ、「もう連絡しない」とか「また連絡しちゃった」とか、そういう気持ちを繰り返すのを本人が楽しんでいれば良いのですが、そうでないなら止めたくなるのも人情としてありますね。
「そんな風に、同じことを何度も繰り返してるのが楽しいの?」
と聞かれたら、答えはノーなんです。
楽しくない恋に気力体力時間を使うのは、子孫繁栄を義務付けられた世の中であれば、全くもって意味不明な無駄なことでしょう。
例えうまくいかなくても、思い出すと胸が温かくなるような思い出があれば、それを糧に仕事なり頑張れることもありますが、それもどこかで見切りをつけないと、楽しい思い出に泥を塗ることもあります。
結局、その人が人生において、何を目的としているのか?
ということ次第なのかなぁと思うと、私は自分自身どう思っているのか、よく分からなくなります。
「好きな人と両思いになって、喜怒哀楽を共にして一緒に過ごしたい」
ただそれだけなんですけどね。
その為に今まで何人もの人を好きになって、振られてきたのですが、それは私が高望みだったり、自分に合う人を見極められていないから、という、私だけの問題なんでしょうか。
私は鈴木さんと元彼の間にも、好きだった人、憧れた人がいます。
今は特に会いたいとは思わない人達ですが、でも好きだった時は楽しかったです。
短期間好きだっただけの人って、そんな感じ。
あんなにFacebookのログイン時間とか、返信時間とか気にしていた人のことを、今は何とも思わなくなっていることを思うと、
この先も、誰を好きになろうと、同じことなのかな
と思ったりします。
元彼が「誰と付き合っても、結局やることは同じだよ。会って、話して、デートして。
あとはタイミングが合えば結婚ってなるだけ」と言っていましたが、恋という感情を抜かすと、確かにそんな風に思えるな、と思います。
でもやっぱり、その人だから好きで、一緒にいたいって思うときもあるんだけどな。
出来ることなら、私はもう一度、私が連絡しようか迷っている時に相手から連絡が来たり、会いたいなぁと思っていたらデートに誘われたり、そんな時間を過ごしたいです。
好きな人から連絡が来る喜びは、「もう自分からは連絡しない」なんて暗く思うのとは比べものにならないくらい、楽しいですもんね。
それって自分1人が頑張れば手に入れられるものではないから、すごく難しいです。
他人がアレコレとアドバイスすれば必ず叶うものでもありません。
好きになる物や人を、他人が指示することはできないから。
そんな風に他人の感情を思い通りには出来ないし、自分の感情だって思い通りには出来ない。
人の感情を動かすのは、タイミングとキッカケ。
その2つを見逃さないように、そして目的地をキチンとイメージするようにして、日々暮らしていくしかないのかな。
と、たかが連絡するしないで人生論になってしまいましたが、そんな風に小さなことが、その人の人格を作り上げているのかなぁ、と思いました。