またも恋愛ネタでは無いけども、まぁ「男」に対する気持ちという点では同じよね、というお話です。
メインブログで書きましたが、新田真剣佑ファンの中には、彼の親友である草野大成くんに不満を持つ人がいるそうです。
で、今日のファンクラブ内の動画で、大成くんに直接文句を言うファンを牽制する会話をアップしていました。
意地の悪い私は、この動画を観て何かおかしなことをTwitterに書く女はいないかな?と検索してみました。
ら、やっぱりいるわー。
「本人に直接文句を言うつもりは無いけど、どうしても好きになれない」
と、誰もが見られるSNSに書いてしまう人が!
そして締めくくりは
「まっけんの素の姿が見られるって、自分に言い聞かせるしかないのかー、はぁ…」
という、仕方ないから我慢しなきゃなんだろうけど、嫌だなーって気持ち満載のツイート。
だーかーらー、何でそれを、Twitterでつぶやく?
第三者の目を意識しないでSNSをやるのは、私も初期はそうだったから分からなくも無い。
けど、明らかに真剣佑ファンって名前のアカウントでツイートするなら、そのツイートは真剣佑ファンに見られること前提だよね?
いや、そこまで深く考えていないのかな。
まぁ、そうやって自由に心の中に留めておけば良いことをつぶやく場がTwitterであり、それで最近は過去の投稿が炎上する人続出なのですが、人の心の闇って怖くて面白いですね。
そう言えば以前ネットで見かけたこのマンガ、めちゃくちゃ怖そうで気になっています。
妄想恋愛でおかしくなる女たちの話みたいで、気になるけど、読んだら悪影響を受けそうな気もする…
さて、Twitterで悪質な書き込みをする件は、ちょうど先程NHKで、Twitterでの発言で裁判が起こっている判事の件がニュースになっていました。
「どこまでを投稿して良く、どこからがダメなのかの線引を、この裁判で明らかにしたい」
と言っていましたが、確かにそろそろ「個人の道徳心任せ」ではいけない部分が出てきている気がします。
本人には言えない不満をぶつける場がTwitterなどのSNSなわけですが、あまりに身勝手な発言を読むと、
「自分が男だったら、こういう女に好かれたくないな」
と思いますね。
女同士でも、友達にもなりたくないなぁって。
上記の人のように、好きな人の友達を好きになれないこともあるでしょう。
誰が誰のことを言ってるのか分からない状態でつぶやくなら、まだ同情も出来ます。
でもなー、あからさまにTwitterでつぶやくのは、無いわぁ。
何だろ?生理的に無理ってヤツ?
だとしたら、黙って我慢するか、全く分からないように個人アカウントでつぶやけば良いのに。
私みたいなのにネタにされちゃうから。
しかし、「生理的に無理な人」って、何なんでしょうね?
先日佐藤二朗さんが「生理的に無理って言葉が1番嫌いだ」とつぶやいたことがネット記事になっていましたが、気軽に言ってしまいがちなのに、自分が言われたら1番嫌なパワーワードだと思います。
「生理的に無理」という表現が「キモい」と同じくらい大嫌い。君の生理は君の生理でよろしくやってくれ。君の生理には、百万回生まれ変わっても入りに行かないよ。入りたくもない。
— 佐藤二朗 (@actor_satojiro) 2018年8月22日
今ドラマ「高嶺の花」に出ている峯田和伸のことも、生理的に無理だと言う人がいました。
主に顔立ち、体型で判断して「生理的に無理」と言うケースが多いと思います。
実際私も「生理的に無理」と思う人はいます。
同僚女性と一時期部内の迷惑男の愚痴を言い合っていたことがあるのですが、この同僚女性は退職間際
「もうあの人の声が聞こえるだけで気分が悪くなる。本当に大嫌い!
あの人のせいで関西弁までダメになって、テレビで関西弁が聞こえてくるとイライラする」
と言っていました。
ついでに関西弁まで否定されてしまうとは…かなりのものですね。
「生理的に無理」と思うことは「イジメ」みたいなものだと思います。
でもどうしても「嫌い」という感情を無くすことは出来ない。
そもそも喜怒哀楽はセットのようなものですし。
昔読んだ高河ゆんのマンガ「ローラカイザー」では、
「好きより嫌いの感情の方が強い。
好きな芸能人と嫌いな芸能人が一緒にテレビに出ていたら、テレビを消す」
と発言する子が出てきました。
高河ゆんのマンガは基本的に喜怒の激しい、感情を口に出すキャラクターが出てくることが多いので、これに共感できる人と出来ない人がいると思いますが、確かに負のエネルギーって強いですよね。
嫌いなら関わらないように距離を置く、と出来る相手なら良いのですが、そうもいかない時もあります。
特に婚活とか恋愛相談系の掲示板などでは、
「いくら学歴や経済的な部分で理想の人であっても、この人とはキスどころか手も繋ぎたくない、と思うような男性と会い続けるべきではない」とか
「慣れたら気にならなくなるから、身の程を知ってその人と一緒になる努力をすべき」とか書かれているのを目にします。
私はちょっと、経済的な条件とかで男性を選ぶという価値観が分からないので
「友達になるのも無理って人と会うのはストレスでしかないから、無理して婚活するより、一人で頑張って働いて暮らすほうがマシ」
と思ってしまうのですが、そうもいかない事情のある方もいるのでしょう。
でもこういう「恋愛対象として無理」というのと「生理的に無理」というのは、似ているけど別物のようにも思えます。
だって芸能人の顔とかは、恋愛対象ってのとは違って「観るのも嫌」って話だから。
視覚的に無理ってこともあれば、性格など知っていく内に無理になることもあるし、衛生的な面で無理になることもある。
イケメンなら許されるか?と思いきや、これも性格や話し方や態度で、徐々に「生理的に無理」になることもある…
私はこれは、生物的な感覚なのかな?という気がしています。
犬猫も、初対面から嫌う人を決めている時がありますよね。
植物でも、「緑の指」を持っている人はどんな植物も上手に育てられるけど、下手な人は同じやり方をしても枯らしてしまう、とも聞きます。
直接的に接する相手であれば、こういうオーラ?のような人が放つ何かしらかで、合う合わないが出てくるのかもしれない。
人同士でも、フェロモンとか匂いでダメになることはあると聞きます。
視覚・嗅覚・触覚・聴覚で「生理的に無理」になることがあるのかもしれないし、それ以外の第六感のようなもので合わないこともあるのかもしれない。
テレビの向こうの人を嫌う場合は、この視覚・聴覚でダメってことかもしれません。
異性であれば、繁殖的な問題でダメってケースもあるのかな?
こういうのは、私は思考でねじ伏せられる感覚ではないと思います。
問題はそれを態度に出すかどうか?だけでは?
私が「生理的に無理」と思う人は、思考回路が合わない人です。
「何でここで、そんな言い方をするの?」
「何でここで、そんな考え方をするの?」
そういう部分が合わない人は、人として無理というか、徐々に「生理的に無理」になっていきます。
これは私が思考回路を重要視して人と接しているから、かも。
話していてイライラしてきて、徐々に相手の顔を見るのも、声を聞くのも嫌になってしまうので、そういう人は本能的に避ける傾向があります。
ま、私は人一倍好き嫌いが強いのもありますが。
あとはもう「この人とは前世でも敵だったのかな?」と思うくらい、最初からこちらに敵対心を剥き出しにしてくる人もいますね…
私の発言が問題だったのか、表情か、言い方か、何が理由か聞き出すことはありませんが、うわー、という態度を取られたことは、男女問わずあります。
私も常に公正な良い人では全くないから、そういう人とはお互いの精神衛生のために関わりませんが。
このあたりは「生理的に無理」と言っていいか分からないけれど、最初にあった違和感が積み重なって生理的な嫌悪感までいくのかもしれません。
しかし、上記の真剣佑ファンの女性は、何故そこまで嫌うのでしょうか?
「頑張って好きになろうとしたけど無理」
とも書いていました。
なんだなんだ、前世で大成くんに似た人にひどい目に遭わされたの?
それとも、好きな人と仲が良いことへの嫉妬?
視覚・聴覚の問題?思考回路が合わないことの問題?
出来ることなら、本人に面と向かっては言いませんが、彼女には
「何故私は彼を好きになれないんだろう?」
と掘り下げて考えてみて欲しい、そしてそれを語って欲しいですね。
それをSNSで投稿するのは良くないと思うけど。
好きな芸能人が、大好きな親友と共演していて、それを観るのに我慢を強いられるっていうのは、とても個人的な問題。
相手には悪意も問題も一切なく、本人の問題です。
そもそも相手はこちらに好意なんて持ってないんですし。
ファンだからって思い通りにしてなんて言えないのは、彼女も分かっていることでしょう。
どうして自分は相手を好きになれないのか?
それを考えてみることは、今後の社会生活の中でも役立つヒントが隠れている気がします。
もしかしたら、今はすっかり忘れてしまっているけれど、子供の頃に大成くんに似た子に意地悪をされたことがあるのかもしれない。
そういうトラウマが自分の中にあるなら、それを克服するか、しないか、選ぶことも出来ます。
単に自分の身勝手さに気づくだけかもしれないけど…
「生理的に無理な人」について考えてみることは、自分を知ることのキッカケの一つになるのでは?
また、もし自分が他人から「生理的に無理」と言われて、そしてそれが一人ではなく複数人だった場合。
それは清潔にしたり、体型を変えたり、整形をしたりすることで変えられるのかもしれない。
大多数の人に合わせるために自分を変えるか?
ありのままの自分を受け入れてくれる人を探すか?
それも、どちらを選んでも個人の自由だと私は思っています。
ただただ、世界中の人が見る場で他人の不平不満愚痴を書いて誰かを傷付けるのではなく、きちんと自分と向き合う機会にすることで、「本当に生理的に無理なのか?」とか「どうしても我慢出来ないのか?」を考えることが出来るのではないでしょうか?
と書いていながら、私が今現在「生理的に無理」と思っているオジサマ方とは、私は仲良くすることも、気にしないことも意識的には出来ないんですけどねー。
だって思考回路が合わなくて、それはお互いに擦り合わせることが出来ないことなんですもの…
だからって、誰から構わず「私、あの人どうしてもダメー嫌いー」なんて言いません。
そういう発言は、自分を貶めると分かっているから。
出来ることならば、自分の感情が自分の評価を下げ、他人から
「お前こそ生理的に無理だよ」
なんて言われないように生きていきたいものですね。
もう追いが加速して、世間の若者から「生理的に無理、老害!」とか言われるようになっちゃうかもしれないしさ…
謙虚に生きるのは難しいけど、でも出来れば他人に不快感を与えずに、平穏に過ごしたいものですね。