恋愛ではありませんが、でもまぁ復縁したいとか、片思いの時にも通じる話かな、と。
確実にお互いに嫌い合っているなーという人と話さなければいけない機会があったのですが、全く建設的な話が出来ない、お互いに求めているであろう結論に達しないまま、話が終わりました。
無駄な嫌味を間に散りばめて話してくるので、そこを指摘すると
「そんなつもりで言っていないのに、そんな風に捉えるお前がおかしい」
と言ってくるけど、こちらの嫌味には
「そんな言葉選びするなんておかしい」
と言ってくるので、途中でこれはもう鏡状態になっているから、話しても無駄だなーと思いました。
が、私は日和見主義では無いので、そこでうまーくまるーく相手を立てる、ということが、どうにも出来ません。
それが、他人から「負けず嫌い」「素直じゃ無い」と言われる由縁です。
相手がこちらに好意的であれば「負けず嫌い」と笑って言われて終わりますが、他人に「素直」という名の「へりくだり」を求められるのは、なんかちょっと未だに納得できません…
例えばですが、イヤーな上司がいるとして。
その人は仕事の上では立場が上だから、仕事内容では従わないといけない、というのは当然の話。
でも「上司とは人間性も頭脳も部下より優れている」と思っている人が、全てにおいて上から目線で話してくると、「は?」となってしまいます。
そうなると、お互いに「コイツは馬鹿だから話が通じない」となって、話は平行線…
「この人はこういう言い方をしたら、こう思うかもしれない」
という想像力を働かせるのは、相手に対して好意的な気持ちが無いと出来ません。
むしろ「こいつはこんな風に嫌なヤツ」という先入観があれば、その想像力はどんどんとネガティブな方向に膨らみます。
でも、そんな風にネガティブに考える時間は勿体ない。
そう思ってその場その場を流していると
「何も考えていないのか?馬鹿にしているのか?」
となるのですが、まぁ「馬鹿にしている」が正しいのかも。
こういう時は「メリット」と「デメリット」を天秤にかけて都度都度対応すれば良い、と冷静な外野は思うものですが、他人から嫌味な物言いをされても常に冷静でいられる人ばかりなら、世の中犯罪なんて無くなるわ…
と書きながら、これって家族とか友達とか、全ての人間関係に通じることなんだろうなぁ、と思いました。
特に親子とか兄弟とかは、こういう理由で関係が拗れることが多そう?
そしてこれが仕事だと、辞める辞めないみたいなことになる、恋愛なら別れる別れない、諦める諦めない、になる、と。
そこに男尊女卑とかも絡んでくるから、SNSでは日々人間関係のトラブルツイートがバズってるんでしょうね。
私がよく他人に対して感じることは
「そんなあちこちで言い古された一般論を、なんで『知らないんだろうけどー』という目線で語る人が多いんだろ?」
ということです。
その時間が、ものすごく無駄だなーと思ってしまって。
相手にはその一般論の言葉を知らないように見られているのだとしたら、何かこちらが変わる、改善する、とした方が良いのでしょうが、それは次の段階の話なので、
「じゃあ、具体的に次にどんな言動を求めているんですか?」
と聞くと、大抵の人は
「自分でよく考えて」
と放棄します。本人は放棄のつもりじゃないのかもしれないけど。
友人の上司と話していると、こういう時の対応の仕方がすごく上手で、頭が良いなぁと感心します。
友人がミスをしたり納得していない時、具体的に分かりやすい例を挙げて状況説明をしています。
また、それでも友人は納得していなくても、上司のことをとても信頼しているので
「…よく分からないけど、じゃあそれで」
と不承不承でも上司の言う通りに行動しています。
その友人の不承不承の態度を見ても、上司はもうこれで状況が進むならそれで良し、という時には、それ以上何も言いません。
それを横目で見る度に「信頼関係が出来てて良いなぁ」と思います。
「相手は自分より馬鹿だ」と思っていると、どーでも良いような小さなことでも不平不満が募るし、非建設的。
それは皆んな分かっていて、でも
「こんな状況を作り出しているのは相手だ」
と思ってしまうと、堂々巡り。
理屈はシンプルだけど、でも簡単には解決出来ないところが、人間の不思議さです。
私は友人とその上司がいる月一の定例飲み会に参加して2年になるのですが、そこにはそれなりに地位と名誉のあるおじさまが通っています。
その中で時折、「この人、私のこと馬鹿にしてるんだろうなー」と思うようなタイプの方が現れるのですが、そういう方は割と短期間でその会から足が遠のいたりすることが、これまでに何度かありました。
別に私が原因ということではない、というか、私と合わないような人は違うテーブルで他の人と話していて、その後消えていく、という感じだから、その会にメリットを感じなくて去るみたいです。
先日友人とその上司と
「前に来ていたあの人とかこの人は、最近は来なくなりましたねー」
と話したら
「何か仕事にすぐに繋がるメリットが無いって思ったんだろうね。
でも、そんな風に『仕事が欲しい』という気持ちで人と会うのはダメ。
『友達を作ろう』という気持ちで人と会わなければ、友達にはなれない」
と友人の上司が言っていて、納得しました。
私はその会で1番多くツテを使ってる、とよく友人の上司から笑いながら言われますが、確かにガツガツとメリットを求めて他人と話すのは「はしたない」と思ってしまって、気後れします。
そんなつもりなく話していても、警戒されてしまうこともありますが…
こういう警戒してくるタイプの人や、「仕事が欲しい」「出会いが欲しい」と目的意識を持って会を訪れる方は、早々に去っていく。
それはそれで損得勘定がハッキリしていて良い面もあるだろうと思います。
ただ、その会の中で私が仲良く楽しくお話出来る方々は、そんな損得勘定だけでなく、相手の気持ちを察しながら上手く会話をする、いわゆるダンディなステキな人たちです。
世の中、こんな人たちばかりなら良いのにー、と思うけど、そうはいかない。
そして私もそんな人になりたいけど、なれない。
ただ、「相手は自分より馬鹿だ」と思っているのを全面に出してしまうのは、何のメリットも無いことですね。
これって婚活の場にも通じる話だなー。
目ぼしい相手じゃないと思ったら、失礼な態度を平気で取ってしまう、とか、やられたこともやったこともあるわ。
他人からやられたら、仕返しのように別の人にしてしまうこともあるのかも。
って理屈をツラツラ書いても、目の前の問題が解決するわけではないんですけども。
「他人のことは変えられないから、自分が変わるしかない」
とよく私に言ってくる人がいます。
「もうそのセリフ、100回くらい聞いたことあるわー」と思ってしまって、最近はもうそれを口にする人を馬鹿にしてしまうようになっていました。
そのセリフをよくドヤ顔で言えるなーと。
でも、それでも私はやはり、他人に変化を求めてしまいます。
そして、効率的に自分がどう変わるのが正解なのかの見極めは、とても難しいです。
理由は「プライドが邪魔をしているから」ということも往々にしてあります。
「プライド」に関する一般論も色々ありますが、「無駄なプライドは捨てた方が良い」という時と「こんなにプライドを捨てる必要はない」という時とがあって、
「じゃあ必要な、持っていた方が良いプライドって何?その線引きはどこ?」
ということまで明確に具体的に示している文献は、多分読んだことがありません。
だってケースバイケースだし。
「プライドが高い人は、自分に自信が無い人」というのも一般論としてよく耳にしますが、このことについて語る文献は割と少ない、というか、メンタル系のモノでしか見かけないかも?
ので、一般論としてそこまで普及していないのかなーと実感しています。
と話が飛びがちな感じて書き殴ってしまっているけど、私はきっと
「他人のことは変えられないから、自分が変わるしかない」
と言う人のことを、各々のプライドの線引き云々とか、プライドが高く見えてしまう理由とかを、考えたことが無い人なんだろうなー、と馬鹿にしてしまっている、のかも。
とまとめると、私やっぱり性格悪い、ザ・アラフォー独身女って感じー。
たまたまHuluで数話観たドラマ「ちょうどいいブスのススメ」に出てきた、プライド高くてツンケンした女性、割と共感して観てしまいましたし。
私はこのプライドの高い女性のキャラクター、そんなに嫌いじゃなかったなー。
むしろ彼女の文句を言う人達に対して
「何故彼女がそんな態度を取るのか?を考えないのかな?
ただただ彼女の人格否定をしたら、余計に彼女の根本的なプライドを傷付けるだけじゃないのかな?」
と思ってしまっていました。
そして、そんな風に思う自分自身を、ちょっと思慮深いように思ってしまっているのかも…
心の中でそう思っていたって、私に好意的ではない人から見たら、鼻っ柱の強い嫌な奴なんですけどね。
このドラマのプライド高い女性も、そんな風に考えること自体を「言い訳をしている」と捉えられて責められていたし、私もそんな風によく言われるー。
じゃあ、上記のように思うこと自体が、他人から見たら間違いなの?
その「言い訳」と捉えられる感情は「捨てないといけない、不要で他人を不快にするもの」なの?
きっと「集団生活をする中では、隠した方が良い感情だけど、そんな気持ちを心の中に抱えている人は他にもいる」というのが正解なのでは?
要は「他人のことは変えられないけど、だからって自分の感情を相手の為に本気で捨てる訳ではなく、集団生活の中では『捨てたフリ』をするのが手っ取り早い」ってことなんじゃないかな。
久々に随分と、話がまとまらないままツラツラと書いてしまいました…
しかも、私の出した結論は、他人から見たら「全然素直じゃない」って感じ。
世の中良い人も悪い人も、好意的な人も攻撃的な人もいて。
それは皆んな知ってる一般論だけど、だからこそ「自分はその中でどうしたいか?」と「何ができるか?」を考えるのが人生。
「集団生活をしないでも生活できる方法を見つける」とかもあるし。
と思う程度に、私は「一般論」を上から目線で言って、そこで思考停止している人が嫌い…
でも私自身が思慮深い、とか頭が良い、と思っているわけではなく、この考えに上手な答えをくれる、ステキな人もいる、と思っています。
私のように思いながら他人と笑顔でへりくだって接する人もいるだろうけど、そもそもそんなこと考えないで平和主義な人もいるし、自分のプライドを守れるだけの地位を手に入れる人もいる。
それは本人の努力だけでうまくいくこともあれば、周囲の環境次第で変わることもある。
でも出来ることならば、本人の努力で、ストレスを無駄に溜まることなく、平和に暮らせるのが良いなー。
あ、だから「とりあえずスポーツでもしてストレス発散するのが良い」って一般論に結びつくのか。
とりあえず、こんなことツラツラ考える程度に、今とーてーもーストレスフルで、孤独なきもち…
そんなアラフォー女は面倒くさいなぁって思うのですが、だからその感情を捨てろってのも、なんだかまだ納得いかないなぁ。
「プライドなんか関係なくなるくらい、一般論をドヤ顔で言われても気にならないくらい、信頼し合った人に囲まれて過ごす」ということが出来たら…良いのかな?
はてさて、答えは何なのか。
それを未来の私が見いだすことが出来たら良いなぁ、と今はぼんやりと思っています…