学生時代からの友人で、唯一残ったいた子と、やっぱり縁が切れました。
出産し、政治とかジェンダーに関心を持ちだした友人と価値観が合わなくなり、一度そのことを話した上で「上辺の楽しいことだけ話す」というルールにしていたのですが、やはりそんなの私には無理でした。
興味あること、今までなら話せた内容も
「これ言ったら、また価値観の違いで微妙な空気になるかも…」
と思うと、話題選びの線引きが分からなくなります。
で、私が悪いのですが、どーしても納得いかない案件をネットで見つけてしまい、その怒りを誰かに聞いて欲しくて友人にLINEしてしまいたした。
ただ心の片隅に
「このフェミ系の話で友人と価値観合わなかったら、やっぱりもう無理だろうな」
という試す気持ちも実はありました…
案の定、友人から
「クリスマスにこんな怒りの話ぶつけられて、対話する気無くなった。
私は感情のゴミ箱やサンドバッグじゃない」
と返ってきました。
この「感情のゴミ箱」「サンドバッグ」という言葉を使う人、SNSでよく見かけるし、職場で口にしてる人を見たことがあります。
あと「対話」というのも自称フェミニストがよく使う言葉みたい。
友達に面と向かって「対話」ってあまり言わないものな気がするんだけど…
他にもう一つ、「子持ちの友人とやり取りするならこういう相談をするのはどうかな?」と思って以前質問したことに対し
「私は相談に乗ってあげたのに、こんな仕打ちをするなんて」
ということも書かれていました。
この件で相談に乗ってもらったことには、本当に感謝しています。
でもそういう言い方しちゃうと、私は私で
「こっちはあの時、あんな政府やフェミの怒りの言葉聞かされて、それでも半年耐えたのに…」
とか思ってしまう…
あなたがTOEIC試験前に、既に公式が削除してる公開模試の問題と回答を送ってあげたりもしたよ、私、とか…
コロナ禍で全然会えず、立場も違い、どの程度どう気遣い合うのが「普通」か分からなくなり、そしてそれぞれストレスを抱えている状況。
最後友人から
「お互い自分で怒りには対処していこう」
と来たので
「ほんとごめんね。今までありがとう」
と返し、削除しました。
人間関係について検索していたら、堀江貴文の「合わないと思うことが出てきたら、古い人間関係もどんどん切る」というインタビュー記事が出てきました。
どんどん新たな人間関係が出来るから、古い人間関係に固執するな、ということのようで、これは私にはあまり当てはまらない部分が大きいけど…
そして「この人とはココが合わないな」というのは、私はほぼ誰に対しても思うことあるかなぁ。
自分の倫理観として
「大事にしようと思う相手には、綺麗事の一般論を言ったりしない。
相手が本当に怒ったり悩んだりしてる時にあからさまに話題を変えようとしない。
差別やマウント発言には、納得いかなければその場のノリでも同調しない」
というマイルールを設けているけど、でも自分もウッカリやっちゃうことあるし、他人も無自覚にやってることが多く、あまり気にしすぎると排他的になってしまったりもする…
今回の友人の件は、もうお互いの価値観が真逆だと分かった時から無理がありました。
以降楽しい会話が出来なくなり、
「このオタネタなら大丈夫かな?」
「英語の勉強の話なら大丈夫かな?」
という探り探りの状態にお互いなってしまっていたので…
友人がハマっているフェミニスト系は
「嫌なことは嫌だと、ハッキリ言うべき。
多様性を認めるべき。
但し自分と真逆の価値観を言われたら、拒絶すべき」
という価値観の人がSNSで徒党を組んでいる、という印象があります。
ある程度は納得なのですが、こうなると立場が違うが故に
「…どこが琴線に触れる話題かわからん…
けど『子供がいて大変』は尊重しないといけない…」
という、よくある既婚と独身の壁が現れ、どうしてもそこを乗り越えられませんでした…
お互いハマってるモノが違っても、それぞれのオタトークを聞いて情報交換するの、楽しかったんだけどなぁ。
そういう話が出来る学生時代からの友人3人でグループLINEをずっとしていたのに、コロナ禍に全員切れちゃった。
コロナは関係あったか無かったか、は分かりませんが、でもコロナでお互いの立場の違いが明確になり、そしてストレスで狭量になったり、攻撃的になったりもした、のかな?
人間関係がどんどん切れていくのは怖いし、寂しい。
頑張って合わせていたつもりでも、ふとした発言が積み重なって関係が壊れることもある。
そして人間関係に固執するタイプ、ドライなタイプがいて、その線引きはそれぞれ。
大事な人は大事にするし、どーでもいい相手なら即切る、というのが一般的なのかな?
とグダグダ書いたけど、本心を言えば
「あースッキリした」
という気持ちもあります。
「アレを言われて嫌だった、この発言が嫌だった。
その考え方は聞きたくない。」
を、彼女が不妊治療し始めてから何年も聞いてきました。
色々Twitterや本で自分と同じ立場の人の話を見聞きするようになり、排他的ですごく怒りっぽい人になっていってたのは、ほんと驚いたな。
私は私で良くないところがあって、段々と
「自分や友人の良くないところを見つけるための、コミュニケーション訓練」
みたいになってたと思います。
なんて不健全で、楽しくない世界線…
1人は寂しいし、友達や恋人や家族が欲しいなら自分を変えなきゃいけないことは、たくさんある。
そうやって自分が変わっていく時、その変化を楽しめる人生でないと、なんか意味わからなくなりますね。
黙ってずーっと我慢して、最後いきなり切る、とかもあるあるだけど、とりあえず
「こっちは○○してあげたのに」
を言い出したら、もうダメだと思う。
とりあえず、友人には家族がいるし、長年の友人が1人いなくなることくらい、どーってことないでしょう。
フェミに理解のある男の子を育てるべく日夜アレコレ考えている友人が、今後納得のいく人生を送られることを心よりお祈りし、年越しを迎えようと思います。