最近くらもちふさこの「花に染む」というマンガを再読し、あまりに伏線が張り巡らされている上に、行間の多い「解釈は読者にお任せ」な部分ばかりで、なのに胸キュン度が高いため、
「このセリフはどういう意味?」
「え、ここのシーンとここ、繋がってたの⁉︎」
と読み返しては新たな発見があって、メインブログにも延々と読み返しては気付いたことを書き続けています。
ちなみに単行本発売時にはリアルタイムで買っていて、最終巻を読んだネタバレ感想も書いていたのですが、その時の私は全くピンと来ていませんでした。
1巻発売が元彼と出会った頃で、最終巻が出た2016年はまだまだ元彼を引きずっていた時ですね。
当時たくさんマンガを読んでいたとは思いますが、失恋した時は恋愛マンガを読むより復縁攻略本とか、孤独感に寄り添ってくれるような本が好きだった気がします。
なので、このマンガの恋愛要素的な部分はあまり意識していず、ただ前作「駅から5分」に繋がる物語として淡々と読んでいました。
で、「花に染む」の主人公の花乃は「駅から5分」には出ていなかったため、サイドストーリーの方でいきなり出てこられてもイマイチ感情移入出来なかったし、「駅から5分」の方にいた陽大と雛と楼良しか見ていなかったんだと思います。
なので今最終巻のネタバレ感想を読んでも、花乃と陽大が恋愛感情をお互いに持っているのかも、なんて全く考えていなかったのが分かり、今になって
「えー!こんなに花乃は陽大に恋心を持つことに対して、自信が無いからその土俵にはいけないはず、と思いこんでるだけで、めっちゃ好きじゃん!」とか
「陽大、あからさまに花乃にアプローチを何度もしてるじゃん!」とか、ぜんっっっっっっぜん気付いていなかった自分に、本当に驚いています…
で、再考察をしてはブログに書き、読み直してはまた新たな気付きを書き…を繰り返しているのですが…これだけ何日も再考察で脳内が揺れるって、ある意味すごい。
そりゃ手塚治虫文化賞の大賞になりますね。
(ただやはり読み手の読解力を問う作品のため、選考でそこは議題になったそうです)
今読めばキュンキュンするシーンを、元彼への執着心で頭がいっぱいだった私は全然読み取れていませんでしたし、気にかけていませんでした。
敢えて脳内からそういう部分を排除していた可能性もあります。
このマンガを描くにあたり、作者のくらもちふさこは
「今の人は自分のことはすごく考えるけど、他人の気持ちについて考えない。悩みがあってもネットで検索して、その人の言葉を鵜呑みにしてしまう」
という想像力の危機感に警鐘を鳴らす目的もあった、というのを今更知り、まんまと当時の私はそういう状態だったことに愕然としました。
もちろん今でも「自分のことしか考えていない」と他人から言われることはありますが、それでも当時よりはまだ他人の気持ちというものを俯瞰的に見られるようになってきている気がします。(この年齢にもなって今更…)
多分元彼への執着心を持つ前も、もう少し
「このキャラはこういう性格だから、こういうことかな」
とか考えていたかも?
でも当時はいかにその時の自分に刺さるか、自己投影出来るかでしか見ていなかったのかなぁ。
自分が経験したことが無いことは分からないし、今知りたいのはそういうことじゃない、って感じだったのかもしれません。
私が今こうして何度も繰り返し読んで考えているのは、そういう「当時の自分と今の自分は、考え方が変わっている」という再認識に目からウロコがポロポロとこぼれているからかな。
それに気付けるのは、ブログにあれこれと書き続けていたお陰でしょう。
たまーに過去のブログを読み返して手直しすることはありますが、ほとんどの部分は忘れて放置しています。
この「花に染む」のことも長らく忘れていました。
くらもちふさこだと「東京のカサノバ」は大好きでたまに読み返していますが、他の作品は電子書籍で買ったりすることがあっても、「花に染む」は「あんまり合わなかったな〜」という感覚のままだったのです。
単行本も引っ越しの時に捨てていました…
今敢えてこのブログで言いたいことは
「中年になっても、考え方は変わる」
ということです。
10年前の時点でももういい年した大人でしたからね。
色んなことがそのあとあって、別の人を好きになってもうまくいかなくて、とか、仕事でも色々嫌な思いをして転職を何度かしたり、そういう時期に読んでいた分あまり深く考えずにマンガをただただ読んでいたんだろうなぁ。
別に今は落ち着いているとか、今の方が良いとか、そういうことではないのですが、当時は当時で大変だったし、視野がすごーく狭くなっていたことは分かりました。
ちなみにこの土日は大掃除をしていましたが、こういう掃除の度に復縁希望時に買った恋愛マニュアル本は捨てています。
今思えば、全く私には役に立ちませんでした。
いや、当時は当時ですごくそれを読んで良かった、と思っていたし、役立てられる人はたくさんいると思います。
私には結局役に立たなかった、というだけ。
視野が広がるとか、精神的に落ち着く、とかも無かったようです。
当時はそれなりに「あ〜こんな考え方もあるんだ!」と思った気がするんですけどね。
そうやって、まさにくらもちふさこが言っていたように
「他人の言葉を読んで納得してしまい、想像力を働かせなくなっている」
という状態になっていたんだなぁ、と気付きました。
そんな感じで、よくある一般論をドヤ顔で語る人って大嫌いなはずなのに、でもそういうのに囚われていたんじゃないかなぁ。
「人それぞれ考え方は違う」という頭では分かっていることに、心から納得していなかったと思います。
そういう状態では、どんなに良いものを見ても読んでも聞いても、心が凝り固まっていて入ってこないんですね。
今もそうかもしれないけど…
それでも、「あ〜今まで無駄に独身生活をダラダラと過ごしていたつもりだったけど、その間に変わった部分もあるんじゃん、私。それで楽しめるようになったことが増えているんじゃん」と気付けたことが、嬉しいです。
いや…オタク度が増してるだけっちゃーだけなんですが。
今誰かを好きになったら、やっぱり前のように戻ってしまうかもしれないし、違う見方をするかもしれないし、それは分かりません。
ただ、過去の私なら吸収できなかったり、理解出来なかったことを、少しでもうまく出来るようになっていたら良いなぁと思います。
このブログもろくに更新していないし、いつまで続けようかな〜と思っているのですが、そういう気付きにいつか自分が使えるかもと思うと、まだ残しておいても良いのかな?
青臭い馬鹿なことを書いていた自分を、微笑ましく見返せる日がくるでしょうか?
ま…mixiは「黒歴史、削除!」と思って削除しましたが…
元彼と繋がっていた当時のTwitterアカウントも削除しているしなぁ。
ちなみに「花に染む」は、過去の辛い事件から目を背けている美青年の陽大が、そこから女性たちを巻き込みながら解放されていくストーリーです。
実際にあった無差別事件に対する怒りが原動力となって描き始められた部分が大きいそうで、そこもまた今の自分にはリンクしたかもしれません。
うん、そんなに簡単に前を向けないことってあるし、過去を切り捨てようと無理をして、でもそれがうまくいかないこともあるよね。
単純な恋愛ものではないので、だからこそ当時はピンとこなかったのかもしれないけれど、今は「あぁ…そうかぁ」と思える部分がいっぱいあって、まだまだ読み返しています!
年々他人に愚痴とか言わなくなってきているのですが、そういうのも前の私とは違う部分かもなぁ。 (言う時はガンガン言いますが)
人は変われる、なんて陳腐な言葉ですが、でも本当にそうだな、と思ったので、それをブログに書き残しておくことで気付けるって面白いなぁと改めて思いました。