仮想通貨とストレスでこのブログを放置していたら、はてなブログProの契約が切れていてビックリ。
リンク切れしていた間はすみませんでした。
さて、ストレスの原因は職場です。
私のいる部だけでなく、社内の他の部でも1人は「みんなから責められる役」になる人がいるな、という印象があります。
もちろん責められる側にも問題があることもありますが、一度その役になると、不平等なことも多々起こり、環境が悪い職場の見本のようになりますね…
有名な話で、さかなクンが「お魚さんの中にもイジメがあります」と言っていたとか、「犬は家族の中で自分より下の存在を作る」とかありますが、そういうマウンティングをしないと不安になってしまうのが生き物なんでしょうか?
イジメというか、スケープゴートを必要としている人を、これまで何人も見てきました。
ドラマ「ファーストクラス」もそういう女達のポジション争いが怖いドラマでしたね。
私もそういう立場に置かれがちなんですが、今回は私のことはともかくとして、鈴木さんもそんな立場になっているようです。
鈴木さんは何度か部署が変わっていて、今の部署に配属された時は、直属の上司は歓迎していました。
前の部署では鈴木さんはとても可愛がられていて、手放したく無かった前上司は
「大事にしてやってよ」
と念押ししていたそうです。
しかし先日私が前上司と話していたら
「やっぱり鈴木君は要らなかったって現上司が言ってた」
と言われました。
鈴木さんにダメな子な部分もあるのは、これまで読んできてくれた方ならお分かりかと思います…
しかし、やっぱり直属の上司から要らない子扱いされているのは、悲しいですね。
私も直属の上司とうまくいっていないので、そうなると余計にやる気が無くなる気持ちはよく分かります。
常に順風満帆な人になりたいし、そういう人が好きな方もいるでしょうが、私は弱い側の気持ちが分かる人の方が、強く排他的な人よりは人間味を感じます。
鈴木さんは下っ端ポジションだと、楽な立場に甘えてしまうけれど、内心プライドの高い人なので、今の状況は嫌だろうなぁと思う気持ちと、でも自分でそういう方向に持っていってるよね、という気持ちがあります。
すごく頑張ってもうまくいかなかったり、失敗するのが怖くて、「どうせ自分はダメな人だ」と受け入れたフリをしているように見えるのは、私が漫画の読み過ぎなのかもしれません。
私はマウンティングされると怒りを露わにして大揉めしがちなので、鈴木さんのように目の前の怒りからスッと目を逸らせる人が羨ましい部分もあります。
でも先日書いたように、鈴木さんは「頑固」と言われてしまうような部分もあるので、口先で調子の良いことを言ったり、気にしていないフリをしていても、自分が部署の中であまり良くない立場でいることに苛立ちもあるだろうと思います。
そこで頑張ろうと思えるくらいの何か目標のようなものも無いのかもしれません…
集団の中のスケープゴートにまでは、まだ鈴木さんはなっていないかもしれないし、もうなっているかもしれません。
彼がやる気がないからうまくいかないのか、うまくいかないからやる気が無いのか、そもそもの問題は別のことか分かりませんが、そういう鈴木さんを見ていると、自分の問題も客観的に見えて来そうになります。
私は自分の性格が変われば、また状況は変わるのかな?と思っていたけど、やはりそれだけでも無い気もします。
自分以外の人がスケープゴートになっている時って、自分自身はすごく快適に過ごせることが多かったです。
「あー、あの人また怒られてる。また失敗している」
とスケープゴートになっている人を見て、自分は大丈夫だと安心する。
スケープゴートになった時には、やってられないんですけどね。
そういうスケープゴートを作る職場は、やはり退職者が続出します。
排他的な人は長期間在籍していて、新しく来た人をまた叩き出す。
鈴木さんの場合は、彼自身は長期間在籍しているからまだ居場所はあるけど、後輩達に陰で馬鹿にされているし、上司からまだ小馬鹿にされているし、テキトーなフリをしてなきゃプライドが保てないのかなぁ。
とか私が考えても意味が無いし、私に散々優しくされただけ、まだマシだろ、とも思うんですけどね。
私もイライラすることは多いけど、まだアドバイスしてくれたり、庇ってくれる人もいるので有難いです。
スケープゴートなんか作らないのが普通、と他人事なら思うけど、実際にはスケープゴートがいる場が普通、というか多数派だと思います。
そんな時に、せめてプライベートでは支えてくれる人がいたら良いんだろう、と思うと、鈴木さんは私より全然幸せだから、同情はしませんが。
ただ働いてお金を稼ぐ、というシンプルなことだけで社会は成り立っていない。
理想はあるけれど、その理想を手に入れている人の陰には、スケープゴートがいるのかもしれません。
好きな人がそういう状況だった時に、呆れて見捨てる人もいれば、支えたいと思う人もいるのでしょうね。
なんとなく、見捨てる人が「普通」の「多数派」な気もします。
普通あり得ない、ということが多数派なことは、恋愛でも仕事でも多いのかなぁと、この年齢になってつくづく思っています。
でも、せめて、自分以外がスケープゴートになっている時に、ホッとしていないでフォロー出来る人でいたいものですね。
実際にはやはり難しいんですが…