鈴木さんに今後の進行メールをする時に
「薬が合うかどうか次第で、数日休むかもしれません」
と書いたら
「薬が合うことを祈っています!」
と返信をもらいました。
そう言えば以前体調を崩した時にも同じようなやり取りがあり
「早く良くなることを祈っています!」
とか言われて、キュンとしたことがありました。
「祈っています」は、普通に感じ良く聞こえる社交辞令だとは思います。
「無事にお戻りになるのを祈っています」とか、「合格するのを祈っています」とか、本当に神様に祈るワケではなくても使う言葉ですよね。
ただ、私はあまり使わない言葉なので、鈴木さんに憧れていた時に「祈っています」と言われて、すごく親しさを感じて嬉しかったんです。
冷静に考えると、やはり距離のある相手に使う言葉かもしれませんが、そこに考えが至りませんでした。
もし私が体調不良の相手に「祈っています」と言うとしたら、相手は親しい友人か片思いしている相手くらいかもしれません。
「〜しますように」という言葉は同僚や上司に使いますが、「祈っています」までは使いません。
友人なら、本気で祈る気持ちで
「薬が合うことを祈ってるよ!」と言うし、
片思いの相手なら
「薬が合うことを祈っています!」と言います。
片思いの相手に使う時は、自分の心からの気持ちをアピールしたくて使います。
でも、同僚とか上司先輩には使いません。
何故か、とよくよく考えてみると、
「あからさまに媚を売っている、上っ面な言葉のように見えるかもしれない」
と思うからです。
だから、本当に祈る気持ちを持てる人にしか使いたくありません。
が、鈴木さんは社交辞令を軽く使う人。
だからお見舞いの文例として書いたのでしょう。
この感覚の違いが、私が鈴木さんをウッカリ好きになってしまった理由かもしれません。
お見舞い文例をググると「回復をお祈りしています」と書こうとしている人に
「あまり固い言葉を使わず、『良くなられますように』など柔らかい言葉を使った方がいいですよ」とアドバイスしていた方がいましたが、それは私と同じように
「あからさまに社交辞令の文例を使うのは、冷たい印象を受ける」
と思う人だったのでしょうね。
ナチュラルに社交辞令を使う人なら気軽に「祈っています」と使う、と思うと、自分が本気で思って書いたとしても
「なんだ、社交辞令か」
と思われてしまう可能性があると思うと、言葉は難しいですね。
実際問題、鈴木さんはその気になれば家に来ることも出来るのに、
「お大事に」「良くなるのを祈ってます」しか言わない時点で、単なる社交辞令マン。
その社交辞令を「言ってくれるだけありがたい」と思うか、ガッカリするかは、こちらの気持ち次第ですね。
私自身は、本当に好意のある人にしか「祈っています」は使いたくないので、こちらに好意を持っていて欲しい人から言われたら嬉しいです。
下手に誤解されたくなかったら
「良くなりますように」
程度にしておきます。
男友達から「良くなるのを祈ってるよ」とか言われたら
「あれ、ただの友達だと思われてないのかな?」
とか思ってしまうかも…
言葉選びの感覚は人それぞれ。
どんな言葉を使ったとしても、前後のやり取りで読み取るしかありませんね。
ただの社交辞令を真に受けてしまった過去の自分が恥ずかしい…
きっとこの「祈っています」という言葉の解釈を色んな人と話しても、どんな時どんな相手に使うのが正解と思っているかは、答えは出ないと思います。
「私ならこうする」
という例があがるだけ。
鈴木さんなりに、固い文例通りと思わせないように、「!」がたくさん入ったメールをくれたことが、せめてもの気遣いだったのだと思います。
今はもう鈴木さんにはなんの期待もしていませんが、以前彼の社交辞令に本気で翻弄されてしまっていたのは、思い返すと恥ずかしく、でも馬鹿で楽しかったなぁとも思うのでした。