昨日、鈴木さんと2行のメールを1往復やり取りしました。
たった2行でも、文末を可愛い感じにして親しみを出す、というだけで、楽しい気持ちになれるものですね。
相手がただの憧れの人、というだけの立ち位置なら、このやり取りだけで十分です。
なんだかんだこれまで鈴木さんのことを書いてきましたが、片思いだとか諦めるだとか考えるのは止めて、「単なる憧れのイケメン」と開き直ることにしました。
多分前にもそう思ったことはあったけど…
確かその時は「ファンサ(ファンサービス)してくれてる」と思えば良い!って結論になってたはず。
またそこに立ち戻りました。
「単なる憧れのイケメン」と思えば、メールを送り合えるだけでもハッピー。
私が辛いとき、悲しいとき、何もしてくれなかったことも気になりません。
対等な人だと思わなければ、お互いタイミングが合えば笑って軽く話せるだけでも、ウキウキできます。
若い頃は、そんな感じで好きと憧れの間を行ったり来たりしながら2〜3年経つことは何度かありました。
で、ある日たまたまタイミングが来て、2人で会ったり、関係を持つようになったりしてたけど、鈴木さんとは春以上の進展は無いと思うので、もう後は新たに恋をするまでの暇つぶしと思おう!
実はまた、8月で止めたこのおまじないを始めてみました。
これが、はたから見たらめっちゃ怖いと思うのですが、精神的には
「好きなアイドルの写真を部屋に飾ってる」
みたいな気持ちになって、なかなか楽しいのです。
「あ、この人はただの憧れの存在なんだ」
って再認識させてくれました。
可愛い犬猫の写真を部屋に飾るのと似た感覚です。
男の人として見ようとすると、恋愛対象として見てもらえない悲しさとか、鈴木さんの人間性とか、気に病むことが出てきますが、
「毎日会いたい話したい生活を共有したい人、じゃなく、日々の潤い」と思えば、現実とは切り離して考えられます。
以前は連休があると、会えないのが寂しかったけど、今は連休明けを待ち遠しく思ったりしません。
連休前に私が仕事がめちゃくちゃ忙しくて大変な時に、他の人は労いの言葉をかけてくれるなり、何で大変か話を聞いてくれるけど、鈴木さんは
「なんか忙しそうだなー」
と気付いてはいても、何も言ってくれませんでした。
春のことがある前、私は鈴木さんをある動物キャラクターの名前で呼んでいました。
可愛くて食いしん坊でイタズラばかりするけど、見ていて癒やされる某キャラクターは、なんだか鈴木さんに似て見えました。
春以来その名前で呼んでなかったけど、またそんな可愛いキャラクター扱いでいこうと思います。
きっと鈴木さんはまた笑って、ハイハイって聞き流してくれるから。
ここに書き連ねているように、私がいつまでもウジグジしているとは、鈴木さんは思っていないでしょう。
同僚たちはなんとなく、「もう飽きたのかな?」と思っているかもしれません。
本気で好きだったのかどうか、今となっては私もよく分かりません。
そう言えば先日、鈴木さんにブログがバレる、という夢を見ました。
もしバレたら…恐ろしいわ…