友達と旅行にいく夢を見ました。
仲良いジャニオタと、同級生でジャニオタと仲良いけど私とは偶に会うくらいの漫画家と、漫画家の知人のいる土地に行く夢でした。
多分寝る前にHuluで「プール」を観たからでしょう。
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ジャニオタと漫画家は同じ所に泊まり、私はその近くの民家に泊まっていました。
その時点でちょっと寂しく思っていたのですが、外に出たらジャニオタ達が出掛けるところで、
「あれ?私、誘われてない…」
と呆然としました。
(これもやはりHuluで「先に生まれただけの僕」を観たからでしょう)
その後、急遽旅を終えて帰るとジャニオタ達が言い出したので
「私も帰る!」
と皆んなと一緒に帰り、帰宅してから
「あ、スーツケースを忘れてきた!
しかもスーツケースにしまう服とか荷物も全部出しっ放しで来ちゃった。どうしよう…
民家の人にスーツケースに荷物を詰め込んで送ってもらったら、悪いかな…」
と思うという、なんとも自我の無いボケた夢でした。
私の中には「他人に無理矢理合わせたくない」という気持ちと「仲間はずれにされたくない」という気持ちが両方あって、大人になっても未だにこういうシチュエーションでモヤモヤすることがあります。
長年見ていると、世の中には「仲間はずれにされがちな人」と「仲間はずれにされたことが無い人」がいて、私は「仲間はずれにされがちな人」カテゴリーにいると自覚しています。
ただ、自分から率先して仲間はずれにすることもあります。
だからか、こちらから仲間はずれにしているワケでは無いけど、女性陣から盛大に嫌われている男性同僚が、私のことを目の敵にして文句をあちこちで吹聴しています。
お前、だから女性陣に嫌われてんだよ…
面倒だから「女子会」という括りにして、この男性同僚を呼ばない会を開催したりしてました。
こういう仲間はずれについて考えたのは
で書いたように、中学の同窓会の連絡が来たからです。
小中学と、昼休みに遊ぶ人がいなくて、居場所がなかったことが数回ありました。
やっと見つけたと思った子のグループに顔を出していたら
「また来たの?ホントうちらのこと好きだよね」
と苦々しげに言われたこと。
運動会のお昼の時間に1人でいたら、親しい子が声をかけてくれて
「うららも一緒に良い?」
とそのメンバーの子達に聞いたら
「えー、うららはうるさいから、ごはんに唾が入りそうで嫌だなぁ」
と言われたこと。
小学校低学年の時、休日にクラスの皆んなが一緒に遊びに行ったと親が知り、私も親から自分が誘われていないと聞かされたこと。
そういうことが、何十年も経っても忘れられません。
言ったりやったりした方は覚えていないだろうし、私もそうやって他人を傷付けたことはたくさんあるでしょうけどね。
大学時代も親しい子たちはいたけれど、いかにも内向的な男子集団と合わずにいました。
その後同じクラスの男子に片思いし続けた挙句弄ばれた時に
「お前はクラスの男子から鼻つまみ者扱いだったからな」
と鼻で笑われたこともありました。
今思えば、そんなこと面と向かって言われた時点で、どうしてその男を嫌いにならないんだろう?と思いますが、でも考えると
「私は他人から嫌われても仕方ない存在。
でもその他大勢から傷つけられたら許さないけど、自分の好きな人から傷つけられたら我慢しないといけない」
と思っている節があります。それが、集団より自分の好みを追う人生の代償だと思っているので。
これ、なんとなく今考えながら書いてましたが、私の恋愛に対する考え方の根本な気がします。
今の会社では親しい人が数人いて、割と多くの人とそこそこ話していますが、前述の大嫌いな男性同僚から転職したての頃に
「皆んながあんたの文句言ってるんだよ!」
と飲み会で言われ、大勢の前で泣いたことがありました。
これがあったので、結構他の人たちが私に同情して優しくしてくれてるのですが、やっぱり時々このことを思い出して暗くなります。
そんな仲間はずれにあった時は、心の支えは「好きな人」になります。
その人が自分を特別に恋愛対象として見てくれていなくても、その好きな人の存在に救われますね。
だから、私は転職の度に好きな人や憧れの人を作ったりしていました。
今の私にとって、それが鈴木さんです。
だから、鈴木さんが私のことを好きじゃなくても、嫌な面が見えても、私は鈴木さんを嫌いにならないし、好きな気持ちが無くなりません。
もちろん、現実に他に好きな人が出来なくても、趣味なりに没頭して気持ちを切り替えることは出来ます。
でも「恋」が1番楽に現実逃避出来るんですよね。
昨日友人達のグループLINEに、友人が
で書いたマッツ・ミケルセンの撮影会チケットが取れた!と喜びの投稿をしました。
もう1人のジャニオタは、その前日が大好きな河合郁人くんの誕生日で、誕生日に盛り上がるタイムラインを見て泣いたり、公演を観に行って感動したりしてました。
撮影会に行く子は既婚だけど、ジャニオタは未婚で恋人も好きな人もいないので、ジャニオタ友達たちと遊び回っています。
B'z友達がいない私は、ちょっと疎外感…
「うららも何か趣味を作りなよ」
と言われたのですが、最近はブログでちょこちょこ他の方とやり取り出来るようになったのでホッとしています。
やはり趣味で憧れの男性を作るもの、現実逃避としてはアリですね。
私はやっぱり、集団行動は苦手だし、八方美人になってたくさんの人と関わるより、気に入った人とだけ親しくしたい。
でも仲間はずれにされるのは辛い。
だから、婚活には興味が無いけど、独りは寂しいから、脈ナシだったり酷い男でも好きな人への気持ちに縋り付くんだなぁ、と気付きました。
ま、一言でいえば「ワガママ」なんですね。
自分を曲げずに、でも孤独にはなりたくないんだから。
集団になると浮いて嫌われてしまう人間だと自覚するのは、大人でも嫌なものです。
前の職場でもその前の職場でも、そういう目に遭って嫌な思いをしました。
ただ、その中でも親しい人が出来たりもしてるので、「皆んなに嫌われる」というよりは「マウンティング好きなボスタイプに嫌われる」という方が多いかなぁ。
アラフォーになってからは、もうマイペースでいいやーと思ってますが、「恋」という気持ちの逃げ場が無いとやってられない時はありました。
なんか、コレが私の「執着心」の根本的な理由な気がします。
が、それが分かったからって、特に今すぐ解決する何かは無いのですが…
昨日買った、おかざき真里の「かしましめし」で
「私たちが欲しいのは『問題解決』じゃない。
問題が解決しても、助かるとは限らないんだ」
というセリフがありました。
これ、最近私がずっと考えていたことに近い言葉だなーと思ってハッとしました。
鈴木さんのことで色々アドバイス頂くことがあるのですが、根本的な問題って
「鈴木さんを落とす為に頑張る」とか
「鈴木さんを諦めて他の恋を探す」とかじゃ無いなーと私は思っていたんです。
(もちろん、アドバイスに従って落とせるなり、新たな恋がうまくいけば、それはそれで幸せだと思いますが)
私はこのブログでは、元彼や鈴木さんを通して、自分の根本的に抱えてる心理みたいなのを書こうと思っています。
そういうのは人によって違うと思うけど、元彼に執着するタイプの人に
「原因は元彼だけじゃないんじゃない?」
と投げかけてみたいのです。
ので、目の前の恋愛テクニックみたいなのが解決法だとは思わないのです。
色々ここに書くようになって、ちょっとずつ何か見えてきた気がします。
そうやって見えてくるたびに、執着心が薄らいできている気もします。
その先にあるのは…悟り?
なんかそれも違うかもしれないけど、こうやって考えるポイントって、色々あるのかなーと思うのでした。