友人がRTしていたのを見て知った言葉です。
これ、学校とか会社とか性差別とか、色々なことに当てはまる言葉だな、と腑に落ちました。
まさにこれ日々感じてもいます。
元々集団行動が大の苦手な私には、この「仲間意識」と「仲間はずれ」は学生時代で終了して、社会では無くして欲しいー
と思うけど、実際には大人の方がコレやっているのでは?
大人だとコレにお金とか地位とか絡んでくるから厄介ですね。
でも、こういう言葉がどれだけTwitterでバズっても、現実社会はほとんど変化ありません。
皆んながTwitterを見ているわけじゃないし、言葉だけ聞いて
「なるほどー確かにー」
と思っても、それは「他人がやっている仲間はずれ批判」でしかなく、「自分もそうやって仲間はずれにしているな」とは思わないから。
そうなると、単に結束力の高い良い集団まで批判する気持ちが生まれたり、場に馴染めない自分を肯定して他者を馬鹿にしたりするだけの、自己満足な言葉としてしか残らなくなる。
そもそもこの短文の解釈も、人それぞれ変わってしまうもの。
例えば、SNSの中では男女、既婚未婚、年齢差で争いが起こりがちですが、大抵の人は
「私を敵視する人は、仲間意識で仲間はずれを作ってる」
と思って他者を批判するでしょう。
でも自分自身が「私も仲間意識持って、他者を否定してたかも…」とは思わないんじゃないかなー。
例えば、昨夜私は「君の名は。」をテレビで観たのですが、感想は賛否両論ですね。
私はイマイチと思った派。
新海誠「 君の名は。」は「オッサンの青春への憧れデートムービー」 - 映画
でも、私のようにイマイチと思った派を
「この良さが分からない、理解力がないヤツ」
と言う人もいます。
こちらはこちらで
「こんな使い古された設定で、何で感動出来るの?」
となってしまうと、もう戦争の始まり。
こういう時に「人それぞれ価値観は違うんだから、多様性を認め合うべき」と言う人もいます。
でも最近はマナーとかまで「多様性。人それぞれ違う」と言い切ってしまう人もいる。
結局、集団生活の中ではある程度の線引きは必要で、そこがグレーゾーンだから仲間意識と仲間はずれが出てしまうんじゃないかなぁ。
結局のところ「自分を認めてくれる他人」がどこかにいないと、人って大人も子供も不安定になったりします。
むしろ大人の方がもう仕切り直し出来なかったりする。
この「仲間意識」の話は、言葉自体はとても良いと思うのですが、ここから更に踏み込んだ会話が必要よねー。
生きる上で闘争本能も必要。
それが他者に向けてか自分に向けてかはケースバイケースだけど。
「チケット当選した!大学合格した!」
ってツイートしたら
「ハズレた人、落ちた人の気持ちを考えろ!」
と怒る人がいるのも、今の世の中。
この辺考えだすと難しいから
「私は私で、楽しく傷付かず、傷付けず暮らしたな」
という言葉でしか締めくくれないのですが、それが果たして正しいのかどうか…
と、話し合える男性がいたらなぁ、なんて思う梅雨のアンニュイな午後であります。