先日頭に来ることがありました。
同僚の文章をチェックした時に、いくつか言い回しが分かりづらいところ、説明が足りないところ、辻褄が合わない部分を指摘修正したのですが、その時に
「こんにちわ」→「こんにちは」
と赤字を入れました。
その後改訂版が送られて来たのですが、そこでもまだ「わ」になっていたので、それだけ修正すればOKと返信したところ、同僚が怒鳴り込んできました。
「そっちが最初に『は』じゃなく『わ』って赤字を入れたから変えたのに、何なんだ!」と。
いやいやいや、最初から「わ」だったでしょ?
その証拠に、私から送ったメールが履歴に残ってるじゃない?
ので「いや、履歴よく見てよ」と言ったら
「俺は最初から『は』って書いてた!
うるせーなー!ハイハイ『は』にすりゃいいのね!」
と大声で言うので、呆れました。
このままだと、周囲から見たら私が間違えたと思われてしまいます。
実際、そういうことが時々あります。
「ちょっとー逆ギレやめてよ。ちゃんと履歴見て言ってよね?」
と一応笑いながら言いましたが、きっと勘違いした人もいたんだろうなぁと思うと、ウンザリします…
多分同僚は急いで適当に文章を書いていました。
そこにアレコレと指摘をされたことが、気分悪かったのでしょう。
周囲の人間関係の為にいい加減なものを世に出す、というのは「悪いこと」です。
しかし時には、周囲に合わせていい加減に終わらせることを「普通」で「良い」とすることもあります。
私はものすごくそういう価値観が嫌いなのですが、「うるさい奴」扱いされて、以降軽んじられてしまうことが時々あります。
「正しいこと」というのは、常に前向きで向上心があり、意志を貫くこと
という道徳の授業のような価値観でいると、社会では鼻つまみ者扱いされます。
よく長い物に巻かれる人生を揶揄する物語がありますが、そんな題材になるくらい、社会は「普通」を「他人に合わせること」としているのが現実です。
それが気に入らないのであれば、独立して自分の会社を作れ、と言われます。
しかし独立したら、今度は顧客の意見に合わせていかなければいけなくなるだけです。
恋愛でも、道徳の授業のように正しければ良いわけじゃない
姑息な手を使っても好きな男を手に入れられる女が正しい、というのは、現実では推奨されていることです。
もちろん物語などでは、そんな姑息な手を使った女は最後に痛い目を見て、真面目で誠実な主人公が好きな彼に選ばれます。
姑息な手なんか使わなくても、好きな人に好かれるのが一番良いのは確かです。
しかし、正しいことだけ追求していれば、必ず好きな人に振り向いてもらえるわけではありませんよね…
一番良いことは、どんな手段を使おうと、自分が手に入れたい未来を捕まえることです。
婚活で男性の年収や条件ばかりを見る女性がよく馬鹿にされていますが、彼女たちは「お金のことで喧嘩をしたくない」「余計な問題を抱えずに生きていきたい」という目的を持っているので、そういう意味では正しいことをしていると思います。
問題は、相手の男性が「条件だけで男探しをする女」を好きかどうか?ということ。
もしそういう女性を嫌いな男性を落としたいのであれば、自分の本心を隠さなくてはいけません。
ここで素直に「私は条件であなたを選びました」と言ったら、それは正直ではなくバカ正直。
「嘘をついてはいけない」「隠し事をしてはいけない」というのは、義務教育の中だけの価値観
人間関係で問題が起こった時、相手のことを「間違っている」とか「自分が正しい」と思ったら、苦しくなります。
私は嘘をつくのが苦手ですが、それでも全体の話の辻褄をうまいこと合わせる為に策を練ることはあります。
他人を説得できたものが勝ちで、正しい。
「正しいことをしていれば、ちゃんと見ていてくれる人がどこかにいる」
という言葉がありますが、私はほとんど体験したことがありません。
そして、好きな人がその姿を見て評価をしてくれるとは限りません。
執着心の強い人の中には、こういう義務教育の中の正しさを追求しようとする人が多い気がします。
「自分が本当に望んでいるものを手に入れることが、正しい人生だ」
という、道徳や物語で推奨されている価値観を追うことにより、余計状況を拗らせてしまうことは、仕事でも恋愛でも、きっとママさん仲間のような場でもあることだと思います。
他人を蹴落とす必要はないけれど、理想を追うことが自分を追い詰めることもある。
冒頭の私と同僚とのやり取りでは、そもそも彼がヒステリックな面のある人だと知っていたのだから、間違いは指摘せずに、影でそっと直せば良かったのかもしれません。
きっと同僚は直されたことに気付かず、そのまま機嫌よく過ごしていけたのでしょう。
このことは私は親しい人にしか話しませんでした。理由は、人によっては
「相手がキレやすい人だって分かってるんだから、こっちが大人になって笑顔で対応してあげなきゃダメでしょ」
なんてお説教をしようとする人がいるだろう、と思ったからです。
そんなことになったら、踏んだり蹴ったりです。
人は「ちゃんと他人の言い分を聞く人」にお説教をし、「他人の言葉に耳を貸さない人」のことは諦めますからね。
そうしなければお互いにストレスが溜まるから、流すことを「普通」としている人は多いと思います。
そう思うとなんだか生きているのがめんどくさいなぁと思ってしまいますが、でも何でもかんでも全力で生きていこうとしなくても良い。
それが「普通」であり、人は「普通の人」が好きです。
何もかも自分の意に沿わないことをする必要はないけれど、
「私が最終的に手に入れたいものは何で、その為には何をすればいいんだろう?」
と筋道を立て、客観的に戦略を立てられる人が正しいんだろうと思います。
ま、私にはそれが出来ないので、そう出来る姑息さのある男性を伴侶にしたいと思っているのですが…
正しいもの同士の、笑顔が溢れた素敵なカップルは確かに理想的です。
でも、どこかその姿を想像すると、ヒッピー的なロハス思考の強い、気難しい夫婦の様子を想像してしまう自分もいるのでした。
ところでAmazonで「ロハス」と検索したら、こんなマンガが出てきたんですけど…
「ロハスの森の暴君王子」って、何?どういうこと?ロハスと暴君が逆方向過ぎて、そして明らかにレディースコミックス的な香りがする絵柄も相まって、なんだかめっちゃ気になります!

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うん、こういう「普通じゃない」感じは、私は嫌いじゃないですけどね。