アラフォーにもなってくると、周囲の方々の親族や体調のお悩みトークをたくさん聞くようになってきますね。
もう恋話とか、無いの。
旦那の不倫からの離婚、とか、旦那がヒモ、とか、親の介護とか、兄弟の病気とか、本人の持病とか、子供の引き籠りとか、鬱とか、遺産相続トラブルとか…
色々聞いていると、私はまだまだノホホンと暮らしてるんだなぁ、と思います。
親は何だかんだとまだ元気だし、お金にも困ってない。
自分で奨学金返してたり、親に仕送りしてたり、片親が病気や怪我をしたり、は、最近読んだ「凪のお暇」の新刊にも少し被ります。
未だに親から「お金は大丈夫なの?」と言われる末っ子な私は、今までこれが普通だと思っていたし、むしろ毒親キツいわ、と思ってたけど、金銭面では自業自得な状況でしかない。
周囲でも、親の遺産を貰って生活に余裕が出来た人もいれば、むしろ親の借金が見つかる人もいます。
離れて暮らす親の介護認定手続きに追われ、いざ入院となったら両親は別のホームとなり、それぞれにお見舞いに行ってたら立て続けに亡くなってお葬式続きで疲れ果てた、なんて話も聞きました。
一般的には、こういう時兄弟で助け合う人の話の方が多いです。
でも、兄弟仲が悪かったり、一人っ子だったりする人もいる。
ウチはまだ両親の入院時には夫婦でフォローし合い、ご近所のお友達にも手伝ってもらえてるみたいだから、私も兄も呑気。
もちろん、それがいつまでも続くかは分かりませんが…
「こんな時、彼氏や旦那がいたら…」
というのが一般論ではありますが、逆にその存在がより負担のケースも聞くと、独り身の楽さと孤独について考えますね。
友人がそういうストレスを溜めている時は、なるべくできることはしてあげたい、と思ってます。
でもそれは、私は「普通」に恵まれている余裕があるからかも?と思うと恥ずかしい…
「貧困女性」が時々マスコミに取り上げられますが、下を見ればキリがない。
本人は真面目で穏やかなのに、親族に振り回されて何年も悩み続け、それでも最近虐待に遭っていた兄弟猫を保護した女性がいます。
彼女のそんなしっかりと前を向く姿を見て、私はここ数年色々「家族」と「お金」について考えました。
結局「お金」が1番大事。
というより、自分だけでなく親にお金があるか?はかなりのポイント。
これはアメリカの黒人差別の根底にもある理由の一つかもしれません。
恵まれている「普通」の人は、お金も教育も恋も結婚も出産も、本人の努力次第でなんとかなる、と思うかもしれない。
でも、そうじゃない状況がアラフォーになると、そしてそれ以上の年齢になるとやってくるみたい。
私は本当に、気性の激しい両親が好きじゃありません。
でも、夫婦仲が良いまま連れ添えたのは、母が海外旅行いきまくりなのは、私たち兄妹を好きなように進学させられたのは、すごい。
私には出来なかった芸当です。
そして両親と同世代でも、それが出来なかった人もいる。
父は30代の時、兄と私を育てながら、親に仕送りし、祖父が病気のときは寝台列車や飛行機で九州まで帰ってた上に、本人も癌の手術をしていました。
そんなに育児をしていなかったと思うけど、私たちの勉強チェックし、習い事をさせ、休日には近所の子供に水泳を教えてたなぁ。
母が旅行中に私が骨折したら、父が午前休取って市街地の総合病院まで連れて行ったりもしてたっけ。
近所の夫婦仲が冷え切った家庭の姉妹も、休日は両親が遊びに連れ出していました。
そこの娘さんは、結婚報告のお手紙を両親に送ってくれたので、実家の壁に貼られています。
私たちとは時代が違うから比べられないけど、今思えばすごいなぁと思うし、それが普通と思わされていたことにも驚きます。
私の学生時代の友人も近いタイプが多いけど、でもそれは「普通」という平均値の中にしがみついていた親がいたから、ですね。
最近友人の話を聞いたり「凪のお暇」を読み、私の「普通」が「普通じゃない」人もいることを知りました。
しかし、そういう人の話をシャットダウンするタイプの人がいるのも知っています。
こういう、人それぞれの育った環境や価値観を知る場がブログなのだとしたら…
今は普通ではない人生となった私が書けることは何なんだろう?とぼんやり思う土日でした。