先週金曜日にあさイチを観ていたら、医師のおおたわ史絵さんがプレミアムトークに出演していました。
あまり私も詳しくないのですが、おおたわさんは現在「強制医療」という拘置所内の診察に力を入れているそうです。
また番組内では、合法だけれども連用は良くない薬の依存症になってしまった母親の話をしていました。
おおたわさんは父が医師、母が元看護師だったため、依存症となった母はいくら止めても自分で注射を打ってしまい、何度も大喧嘩していたそうです。
当時を振り返り
「依存症の人から対象のモノを取り上げるのは、海で溺れそうな人から浮き輪を取り上げようとするのと同じこと。
取り上げようとする程、相手は必至にしがみつこうとする。
でも代わりに手を差し出して
『こっちに捕まって』
と言えば、離させることが出来る
ということを知った時、もし母が存命の時にそれを知っていたら、あんなにお互いに傷つけ合わなくて済んだかもしれない」
と話していました。
これ、確かにそうかもな、と思うと共に、代替品を差し出すのに抵抗感を持つ人もいるんだろうな、と思いました。
例えば恋愛依存の人は、新しい恋をしたらそちらに夢中になる、と言います。
他の代替品を見つけたら、前にしがみついていた浮き輪を離せる。
でも友人が依存症を治させたいと思った時には
「私の手を掴んで、と言って全面的に頼られるのは、重い」
と思うことも多そう…
失恋の苦しみから占い依存症になった頃、同じ状況の人のブログをたくさん読んでいましたが、結局「依存体質」を改善しないことには意味が無いのかな?と思いました。
薬を止めさせるのと、精神的な依存は別物?
ただ、精神的な依存症は「自己肯定感を高める」とか考え方の変化で改善出来ると言われています。
今ドラマ「凪のお暇」にハマっていますが、こちらは毒親から植え付けられた価値観から解放されていくお話でもあるため、毒親持ちの女性が
「観ていて、過去のことを思い出して辛い」
と話しているのを多く見かけるし、私も胸が痛むことが多々ありますね。
凪がゴンにハマってボロボロになった時
「そんなのおかしい」
と友人の坂本さんが止めようとしていたけれど、アレは浮き輪を取り上げようとするのと一緒のことだったのでは?
でも、うららちゃんやみすずさんが、優しく話を聞こうとし、美味しい食事と温かいお風呂でもてなしたことで、凪は眼を覚ますことができた。
人によって見つけられる代替品が何になるかは分かりません。
でも他人の優しさが癒してくれることは、確かにある。
失恋を忘れられずにウダウダしていた頃
「何か趣味でも見つけなよ」
と色んな人から言われました。
でも、それは確かに結果論として正しい可能性はあるけれど、その趣味を見つける気持ちになかなかなれない、という時に、そんなアドバイスされてもなぁ、と思っていました。
こうやって改めて考えてみると、その言葉は
「その浮き輪の代わりを自分で探しなよ」
と船の上から海中の人に言うようなもの。
海中の人からしたら
「この状況で、どうやって?」
と混乱するだけ、なのかもしれません。
SNSの普及もあるからか、こういう心理的部分の解釈が広まるようになってきました。
ここで書いても、今悩んでいる、何かに依存している方に代替品を差し出すことは出来ないのですが、でも依存症を止めさせたいと思っている方には
「こういう理屈があるみたいですよ」
と言うことが出来るので、書き残しておきます。
心の支えと依存の境界線も曖昧な部分があるのですが、何にせよいつか浮き輪が無くても泳ぎ切り、どこか素敵な島に泳ぎつけたら良いなぁ、それまでの支えが人それぞれあると良いなぁ、と思いました。