そこまで深い付き合いでは無かったけれど、数回話したことのある方が亡くなりました。
体調が悪いらしい、という噂を聞いたとき、側にいた人が軽く笑っていたので
「そんな笑えるような状況じゃないみたいですよ」
と言ったのですが、本当にそれから数日で訃報を聞き、最後に会った時の笑顔を思い出してしんみりしてしまいます。
前述の軽く笑っていた人に訃報を伝えると
「本当にそんなに悪かったんですね…」
と驚いていましたが、その人も然程付き合いの無い方のことだった分、「体調不良」も軽く考えて、笑ってしまっていたんでしょうね。
「人生100年時代」とかマスコミが言っているのを耳にしますが、通っている鍼灸院の先生曰く、
「寿命が伸びていても、健康寿命が伸びているわけではない」
とのことです。
うちの両親はまだ健在ですが、父の元同僚の訃報は既にたくさん聞いています。
早期退職して悠々自適な生活を始めた途端に亡くなった方もいました。
そう思うと、全員が全員健康に長生きし、長期間働けるわけじゃないよなぁ、と当たり前のことに気付きます。
私がブログを始めた頃には「セミリタイアしたい」という理由でブログをやっている方々を見かけました。
今年のGoogleコアアップデートとITP問題で計画が狂ったと思われますが…
普段は「いつ死んでも良いけど、それまで楽しめることは楽しもう」とキリギリスとして生きていますが、実際に会っていた方が亡くなったと思うと、命について考えてしまいますね。
生きている間のお金のことばかり心配してもね…と、よりキリギリスに拍車がかかる方向に考えてしまいますが。
まだ私の直接的な友人知人で亡くなった人は、そんなに多くありません。
でも同級生や元先輩が数人亡くなっています。
普段は「死ぬ」「死にそう」「死んでしまえ…!」と軽く言ってしまうけど、そして今更を反省しても、きっとまた忘れて言ってしまうと思うけど…
「人生100年時代に備えて貯金する」とか「長期間働いて稼ぐ」とかではなく、「人生100年あっても無くても、楽しく生きる」と出来たら良いのになぁ、と思います。
お通夜もお葬式も行かないし、本当に数回しか話したことの無い方が亡くなっただけでも、やはりしんみりしますね。
そう思うと「自分が死んでも、誰も何とも思わない」なんてことは、やっぱり無いんだろうなぁ、と改めて思いました。