この三連休はゆっくり考え事をする、と言っていたくせに、昨日は鎌倉へ、
今日は池袋の新文芸坐に映画2本立てを観に行きました。
東京、サイコー!
ちなみに全部1人で出掛けてますけどね。
友達から「ポーの一族持ってたら貸して」って言われたから映画の前に会おうかと思ったら
「今から観劇だからまた今度でよろしく。
ちなみにポーの一族は今度推しが宝塚で演るから読んでおきたい」
と言われました。皆んな趣味を充実させすぎ。
この友達とは9月に、満島ひかりと柄本佑の百鬼オペラ「羅生門」を観に行きます。
今日観た映画は2本とも「母性」について考えさせられるものでした。
「湯を沸かすほどの熱い愛」も「彼らが本気で編むときは、」も、男に捨てられた妻、子供を捨てる母親、他人の子供を愛して育てる女性が出てきます。
そしてどちらの映画も、男性は直接的に何かをしてくれるというよりは、本当に辛い時に抱き寄せてくれる存在で、女性は自分たちで立ち上がり、幸せを選び、行動していました。
私は子供がいないので、まだ母性というものに対して憧れを持っています。
どんなときも、絶対的に子供を守り、愛する母親という存在。
私の母はそういう人ではなく、母親より女という立場を選ぶ人ですし、映画やドラマに出てくるような素晴らしい母親がいる、という友人は周囲にほぼいません。
そもそも、宮沢りえや生田斗真が演じていたような、誰にでも優しく温かい美しい女性なんて、私はこれまでほんの数人にしか会ったことがありません。
現実ではそういう人になるのはすごく難しいことだと分かっているけれど、でもきっとどこかにそういう人がいて、そして私が羨むような幸せな生活を送るためには、そういう人にならなければいけないのではないか?いや、無理だろ…と思ったりしてしまいます。
実際に夫もいなければ子供もいない身で想像するのは難しいのですが、夫から捨てられても子供に当たり散らさず、シングルマザーとして働いて、日々子供に笑顔で接し、ご飯を作ることが出来る女性は、本当にすごいなぁと思います。
現時点で私より年下でも、そういう生活を送っている女性はたくさんいるんでしょうね。
そういう人から見たら、「復縁したい」とか「脈なし片思いだけど忘れられない」なんて言ってるのは、とても夢見がちに見えるんだろうなぁ。
ここ最近母親のような気持ちで鈴木さんに接していたつもりでしたが、映画を観て改めて
「いや、見返りを求めている時点で、母親として失格!」
と思い改めました。いや、母親になりたいわけではないですが。
そういえば以前鈴木さんと2人で飲んだ時に、家族の話を色々聞いてみたのですが
「もしうちの母がうららさんに会ったら
『アンタちゃんと食べてるの⁉︎これ食べなさい!』
ってたくさんご飯出されますよ。
うちの親は『人間、食べて寝れば大抵のことは何とかなる』って言ってて、普通の量しか食べないと『具合悪いの⁉︎』ってすぐ言うんです」
と言っていて、めっちゃ良い親に育てられた子だなぁと羨ましかったです。
ちなみに稲葉浩志さんのお母さんとハグした時も
「ちゃんと食べてるの⁉︎」
と言われましたが、うちの母には
「日本酒飲んでるの?太るよ」
と言われます。ヤツは失恋鬱で私が38kgに痩せた時も、特に病院に行けとも、食べられるものを出そうともしなかったけど、何なのかしら?
きっとうちの母は、男に捨てられたら子供に当たり散らし、思い遣りを強要する人。
私はそうなりたくないけど、でも机上の空論で言ってみても、実際どうなるかは分かりません。
でもいざという時の母の強さは、産む前から根本的に持っている性格にも左右される気がします。
他人の子供でも愛して優しく接することが出来る女性。
そんな人は、やはり美しいなぁと思いました。
男が側に居ようが居まいが、自分の足で立って、周囲ことを考えられる女性。
物語に出てくる女性は、恋に生きたり、自分勝手だったり、優しかったり、強かったり、色々ですが、現実の自分の身勝手で弱い部分を見つめてしまうと、せめて脳内では理想の女性像を描いて、少しでもそうなれるようにしたい、と思ってしまいます。
母でも母でなくても、女は強く美しくしなやかでありたいもの。
生田斗真演じるリンコが、怒りや悲しみを編み物に込めて燃やし尽くしたように、私も脳内のアレコレを本人にぶつけること無く、このブログなりなんなりに吐き出しながらも、日常では今より少しでも理想に近づけるようにしていきたいなぁ。
そして宮沢りえが演じていた女性のように、最後の時に側に大事な人がいてくれるようになりたいなぁ。
さて、連休も明けてしまったし、今週もまた頑張ります!