震災直後、TwitterでNHK_PRの中の人、現在作家の浅生鴨さんのツイートを読むのが好きでした。
中の人などいない: @NHK広報のツイートはなぜユルい? (新潮文庫)
- 作者: 浅生鴨
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/05/28
- メディア: 文庫
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面白くて、信念があって、優しくて、不寛容なことにははっきりと意見を言っていて、良いなぁと思っていました。
ゆるいツイートの公式アカウントを流行らせた方でしたが、今は個人でツイートされていて、そちらも拝見しています。
今、ちょっと疲れた気持ちでいるのですが、先程浅生鴨さんのツイートを見て、なるほどなぁと思いました。
許容と諦めは、わりと近いところにあるから、他者を許容することが苦手な人は、自分に固執するのを諦めるところから始めてみるといいのかもしれない。
— あそうかも。 (@aso_kamo) 2017年11月25日
私が今疲れているのは、他人を許容出来ないこと、自分が許容されないこと、という、自発的な感情だけでなく他者からの攻撃もあるからです。
自分なりに色々考えていることを「考えていない」と言われるのも疲れたし、こちらの気持ちを汲んでもらえないことにも疲れました。
でも、どちらも自分に固執することを諦めることで、ちょっとは楽になれるのかな?と思いました。
先日一つ分かったことがありました。
私のことを「怖い。あの人といると精神を病みそうだ」と言った人がいる、ということは以前聞かされていました。
その時、そう言った人の名前は分かりませんでした。
ので、あの人か?それともあの人か?どの行動でそんなことを思われているのか?と私はその後ずっと疑心暗鬼になっていました。
実際にその発言をした人は、私が想像していた人達ではありませんでした。
最初は良い人だと思っていた男性が、以前お酒の席で女性社員の太ももを撫で回した、と他の人から聞き、気持ち悪くてその男性社員に距離を置いた態度で接していた時期がありました。
その男性が私のことを「怖い」と言っていたそうです。
ちなみにこの男性社員は過去に精神的なことで休職した過去がある人だそうです。
真相が分かって、ホントもう「くだらねー」という気持ちになりました。
噂を聞いてあからさまに不快感を出したのは問題だった、という気持ちと共に、
「何故、私がその男性社員を避けたか誰も理由を確認しなかったんだろう?」
と思いました。
別の機会の時に、数人にその男性社員を怖いと思っている、という話はしています。
自分自身がセクハラをされたわけじゃなくても、偏見の目で見てしまう気持ちはどうしてもあります。
自分が被害者になる可能性は無くても、気持ち悪いとか怖いと思ってしまいます。
この噂が本当か嘘かの確認はしませんでした。
触られたと言われる女性は、セクハラを笑顔で躱せるタイプに思えたので、本人は気にしていないのかな、と思っていました。
わざわざ上司等に「あの男性がセクハラをしたという噂を聞いたから怖い」なんて言う年でもないけど、だからって人として怖いと思う気持ちは無くせませんでした。
セクハラの噂を私に聞かせた人も、それを信じて拒絶反応を見せた私も、触らせた人も触った人も、問題がある気はします。
この理屈で考えると、誰かが私の噂を聞いて偏見を持つこともあるわけですが、正直自分が噂を流される側になると「めんどくさい」という気持ちにしかなりません。
仕事をするのも、結婚して家庭を持つのも、他人に合わせていくことなのかと思うと、今はウンザリして嫌に思えてしまいます。
ネットの中に居場所を見つけようとするオタクみたいな価値観だとは思いますが、なんかもうホント虚無感を感じてしまって…
このセクハラの件に関しては、双方の話を聞いた人の判断次第で決まるのが社会ですよね。
「男性社員がセクハラをしたと噂を聞いたから、怖くて拒絶反応を見せた」
と言う私を、社会性が無いと思う人もいるでしょうが、そうハッキリと言ってはいけない世の中だろうとも思います。
「自分がセクハラされたんじゃなかったら気にするな」
なんて公的に言ってはいけないはず。
でも実際には「セクハラの真実は被害者以外は気にしないで、表面的には笑顔で接するのが社会」というのが求められていると思います。
いわゆる女性の権利を声高に叫ぶ人なら「そもそもセクハラ自体無くなれば問題は起こっていない」と言うと思いますが、過去は過去、噂は所詮噂。
私が鈴木さんに取った態度、取られた態度も、無関係な人が見たらセクハラに該当します。
今はそういう行動を取っていませんが、過去の様子を見た人、その噂を聞いた人がアレコレ言ったり思ったりはしているみたいです。
ということがあるから、社内恋愛禁止って会社もあるんでしょうし、「会社は仕事をするところ!」と言う人もいるのでしょうが、そんな簡単に恋愛感情を斬り捨てることは実際は難しい。
この件はもうちょっと時間をかけて考えてみようと思いますが、「セクハラ」だけでなく「恋愛感情」自体も、集団の中では本人同士以外にも問題を生むんだな、と改めて思いました。
どこを許容し、どこを諦めるのか、よく分からなくなりそうです。
修道士みたいな生き方は出来ないし。
他人事として考えると、あれこれと斬り捨ててシンプルになるのかもしれませんが、現実の実社会では難しいです。
あぁ、他人と行動を共にするのって、ホント面倒くさい、けど、面白いこともあって、不思議なものですね。