先程帰宅してテレビを点けたら、「この世界の片隅に」をやっていました。
これ映画は映画館で観てましたが、ドラマはちゃんと観ていませんでした。
映画は素晴らしくて、ボロボロ泣きましたが、やはり戦争ものは悲しいですね。
今日は原爆が落ちる日をやっていて、アンニュイな気持ちになりながらも
「っていうか松坂桃李くんは、『日本のいちばん長い日』でぶっ壊れた陸軍将校役をしていた印象が強いから、同じような服装で違うキャラを演じられると脳内でブレるわ…」
とも思ってしまいます。
あの映画の中では、松坂桃李くんは玉音放送を阻止しようとして最後は自決するんですが、その決起する時のキレた演技がめちゃくちゃ怖かったのです。
と思い出していたところで、もう一つ思い出したエピソードがあります。
これどこかで書いたことがある気もするのですが、昔々、私がまだ20歳くらいだった時に合コンに行ったんですね。
確か友人がリゾートバイトで出会ったツテか何かで、早稲田大学の学生が来ていました。
その男子学生が
「日本は戦争をした方が良い」
と言い出したんです。
幼少期に「はだしのゲン」を読んでトラウマになっていた私は驚いて
「なんで?」と聞いたら
「お金になるから。戦争ってお金になるんだよ」
とドヤ顔で言われました。
「もし日本が戦争になったら、戦地に行くのは自分なんだよ?それでも良いの?」と聞いたら
「俺は戦地には行かない。上から指示出して兵隊を行かせる側になる」
と笑いながら言っていて、いや〜ほんと、クズだと思ったことを忘れられません。
早稲田大学の学生だってことに調子に乗ってたんでしょうね。
こういう人ばかりではもちろん無いけど、私はこの経験から
「男を学歴や職歴で選ぶのは止めよう」
と決め、おかげさまで
「この俺様の学歴を敬わない女なんて、生意気だ!」
という態度を取られたことも何度かあります。知らんがな。
稲葉浩志さんは横浜国立大学出ても、学歴ひけらかさないでミュージシャンやってるの見て育ってるから、学歴だけで威張られてもねぇ。
私は割とこんな風に学歴とかブランド主義な部分がありますが、それだけですり寄ったり、全てを称賛したり、内心舌を出しながら「すごーい!きゃぴっ」とかは出来ませんでした。
そういう女が若い内に幸せを手に入れられるんだろうな〜と今となっては思いますが、今若返ることが出来たとしても、やっぱりあの早稲田大生には
「は?何調子ぶっこいてんの?」
と言ってしまうことでしょう。
でも、あの日の経験が無かったら、声高に
「男を学歴や職歴で選びません!キリッ」
みたいなことも思わなかっただろうな。
むしろそちらの方が、私にとって良かったんじゃないかしら?
あ、ずずずさん、これ読んでたら、ああ…と思われてるかもですが、すみません…
ずずずさんの同級生か、先輩にあたる人だったはずですが、そういう人ばかりじゃないと分かってますので!
私は戦争に関しては、今後日本が戦争をしない、核兵器を持たないのは当然のことだと思っています。
ただ、第二次世界大戦で日本国民は一方的に被害に遭ったわけじゃない、日本も他国に酷いことをした、と思ってるので、この辺りの価値観が合わない男性と家族になるのは難しいんですかね?
そもそも友人でも、ここの価値観合わない人が数人いました。
それで友人を止めてはいないし、「こういう価値観の人、ほんとにいるんだ〜」と思って流しましたが、これが旦那さんだったらキツイわ…
そう言えば、先日ネットで
「旦那さんと原爆ドームに行きたいのに、興味を持ってもらえない。
今後親になることを考えたら、日本人として原爆ドームに行くべきだと思うのですが」
という質問を見かけたのですが、それに対して
「絶対に旦那さんと一緒に行くべきです!日本人として行かなければいけません!」
と回答している人たちがいて、結局相談者さんはその後旦那さんと原爆ドームに行くことになったと報告していましたが、私は内心
「そんな無理矢理行かせなきゃいけない場所なの?」
と疑問でした。(広島、長崎の方がお気を悪くされたらすみません)
私は今まで原爆ドームに行ったことはなく、最寄りのバス停で高速バスを降りた時もそちらを見ませんでした。
それくらい、「はだしのゲン」がトラウマです。
原爆ドームに日本人なら行かなきゃいけない!という価値観が理解できません。
これまで「はだしのゲン」だけでなく、様々なテレビや映画や書籍で、原爆がいかに悲惨で辛いものだったか観てきました。
それでもなお、原爆ドームに行って、展示物を見て、より恐怖を感じた方が良いと思う方もいるのかもしれませんが、ごめんなさい、怖いです。
ひめゆりの塔でも当時のことを書いた手記を読みましたが
「隣りにいた、美人なのを鼻にかけてた女の子の顔に銃弾があたって、顔の皮膚が後方に向けて無残な姿になっていた」
という一文が一番脳内に残っています。
悲惨さを知ることと、戦争反対について考えるのは、視点がちょっと違う気もするんです。
どちらも大切なことだと思いますが。
この夏に平和記念式典が放送されているのを少し観ましたが、幼い子どもに
「黒焦げになった皮膚が」「流れ出た血が」というグロテスクな描写を読み上げさせるやり方には、正直ウンザリしました。
私に子供がいたとしたら、絶対にそんな見世物要員にさせたくないです。
私自身が幼少期の頃を思い出すと、そういう悲惨さは「戦争」とは別口の印象としてしか残っていないからです。
かと言って、ハワイやサイパンで「ウェーイ」と海で遊べる人も無理です。
「戦時中にここで日本人が何をしたか、どんな目に遭ったか知ってから行けー!
っていうか私はそれを考えたら怖くて行けない!」
と思っています。
あれ、こうやって書くと私、やっぱり独り身でいるしかないくらい、視野が狭いですかね。
まだ結婚相談所に登録したことも、お見合いをしたこともありませんが、この辺の価値観をすり合わせてから出会うってことは無いんでしょうね。
もし戦争になったら、お互い守り合わなくてはいけない家族。
そういう相手と全く価値観が合わなかったら、どうなるのかなぁ。
机上の空論で話していても、いざその場になったら違うってこともあるんでしょうけどね。
夏はいつも、そんなことを考えてしまいます。