よく「愛」と「恋」の違いの解説を耳にするすることがあります。
元ネタは「新解さんの謎」で、愛は人間愛みたいなもので、恋は肉欲とか独占欲が湧くものって感じの解説だった記憶があります。
最近、新田真剣佑ファンの人のツイートとか書き込みを読んだり、友人からジャニオタの話を聞くのですが、何ていうか、こう…
「こういう怖いファンが世間にはいるって聞いたことはあったけど、本当にいるんだ…」
という恐ろしい言動をちょくちょく見かけて、段々と疲れてきました…
私も大概執着心が強いヤバイ人間だなーと自分のことを思ってたけど、なんていうか、そういうのと違う?
究極に怖かったのは、Twitterで見かけたジャニオタです。
「推しが被災地に行くのは良いことだと思う。
でもそこでサインをしたり、ツーショットで写真を撮るのは許せない!
皆んなが望んでるのに出来ないことを、被災者だから出来るなんてずるい!
◯◯ファンは心が被災した!◯◯ファンは心が被災した!◯◯ファンは心が被災した!」
という…あんたそりゃあ、人の心が無さすぎるだろうよ…って発言でした。
他にも、推しのことを叩くアンチに噛み付くならともかく、ファン同士で叩きあったり、暴言を吐きあったり、推しの友達の悪口を言いたがったり…
「匿名掲示板で、推しの友達の悪口を書きたい」
という気持ちが私にはサッパリ理解できないのですが、
「愚痴いいたいよねー」
「わかるー」
と徒党を組もうとしている女たちを見た時は、心底ゾッとしました…
自分が直接的被害に遭って文句を言うならともかく、特に被害に遭ってもいないのに文句を複数人で言いたがる気持ち、わからない…。
すごく女っぽい習性なのでしょうが、そういうの、もう、卒業しちゃったのかな、私?
こんな私が昨日頭にきたのは、9/1の福岡ドームでのライブ中に声の不調トラブルを起こした稲葉さんに対して
「声が出なくてもいいから6日からの豊田スタジアムには会いに来て!」
とFacebookに書き込んだ人の発言でした。
この件はメインブログでも書きましたが、本当に
「あんた、ウチの可愛い子が大変な思いをしている時に、自分勝手なこと言ってんじゃないよ!」
と、おっかさんのような気持ちになってしまいました。
「あんた、好きな人が高熱を出していても、私が会いたいから会いに来て!って言えるの!?」ってのに近い感じです。
稲葉さんの声の不調の原因は分かりませんが、体調が悪いということだから、それなら無理しないで休んで欲しいって思うものじゃないの?
「本当に好きだったら、こう思うはず」
みたいなのは好きじゃない、と以前書いたことがありましたが、相手が稲葉さんなら自然と私もこういう思い遣りの心が持てるようです。
というか、現実的な恋愛相手ではなく、単に推しとファンという距離感のお蔭で冷静になれている気もしますが。
一日中推しのSNSをチェックし、TwitterやInstagramで他のファンが投稿した内容をチェックし、推しを愛でる。
そういうのも、ある程度までは楽しめますが、行き過ぎると自分でも疲れるし、他人事だと怖く見えます。
ジャニオタの友人も昨日「ファン活に疲れた…」とTwitterでつぶやいていましたが、推しのことが好きで好きで好きで好きで、必死に追い続けていると、プツンと疲れて糸が切れてしまうことがあるようです。
私は結局、芸能人に対しては、日常生活の全てを捧げたい、とまでは思えないタイプなのかな?(たぶんそれが普通ですが)
それでも同僚が「年末にイエモンのファイナルライブがあるんだけど、その日は仕事が一番忙しい日だから行けそうにないし、抽選に申し込んでも当たらないかもしれないし、諦めようかな…」と言っていた時には
「何のために生きてるの?もう二度とグループでのライブは観られないかもしれないんでしょう?
最後の一曲だけでも聞けるかもしれないんだから、チケットの申込みはするべきでしょ!」
という程度には熱い気持ちを持ってはいますが。
と、ツラツラと芸能人への愛なのか恋なのか分からない気持ちを抱える人たちのことを書いてみましたが、こういう「推し」への気持ちって、本当に人それぞれなんですね。
そして「恋は盲目」状態になっている人って、好きな芸能人がダメって言っていても追っかけをしたり、自分の欲望を押し付ける。
むしろ、ダメと言われていることも理解が出来ない。
「それ、推しがダメって言ってなかったっけ?」って言おうものなら、カッとなって牙を剥いてきたりするんですよー、ファン仲間だったはずなのに。
推しにプレゼントを贈る、とかも、私はやったことがないのですが、ブランド物を贈る人とかいるそうです。
絶対それ、スタッフにあげたりしてるってー。
一生懸命工作して何か作っても、その場では笑ってくれても、その後ゴミ箱にポイされてるってー。
欲しいものがあったら自分で買える人たちなんだし、一般人のセンスと財力で本気で喜ばせるものなんてプレゼントできないってー。
って私は思ってしまうのですが。
そういえば友人も、推しに渡すお手紙を書いてたな、この間…。
もちろん芸能人と一般人は違うので、「好きと言われて嬉しい」と思う芸能人と違い、「好きと言われて迷惑」と思う一般人がいる。
芸能人は「好きだと伝えたい」という欲望を剥き出しにしやすい対象なのかもしれません。
でも私は芸能人に対しては「好きだって伝えたからって、何になるの?お仕事見させてもらえて、ステキ~と思えれば満足」という気持ちで留まります。
これが一般人の男性相手なら、徐々にヒートアップして欲望を伝えてしまうのに…。
芸能人に激しい欲望をぶつける人も、好きな一般男性に欲望をぶつける私も、「恋は盲目」という部分では同じなんだな、と改めて思いました。
「なんで芸能人相手にそこまで?」と私が客観的に見てドン引きしてしまうように
「なんで未来のない男にそこまで?」と私にドン引きしてしまう人もいるわけですね。
ああ…こういうの、考えるの、疲れてきた…
そうか、だから瀬戸内寂聴は出家したのかな?(多分ちょっと違うと思うけど。あの人は俗世でやりきってるし)
「恋は盲目」状態でドーパミン出てる感じ、楽しくて好きなんですけどね。
でもその気持から他者に対して攻撃的になっている人を見ると、やはり怖いです。
そして、私自身にもそういう怖さがあります。
どうして「恋は盲目」状態になっていると、私が今稲葉さんに感じているような
「とにかく、あなたが最良だと思う選択をして?私はそれに従うわ」
という気持ちになれなくなるんでしょうね?
傍から見たら、今の私は芸能人に夢中な痛いおばさんなのかもしれません。
私自身は「俺が本気出したら、こんなもんじゃないぜ?」って思ってますけど。
こういう第三者の目とか考え始めたらキリがないけど、やっぱり、「恋は盲目」であるが故に、相手の気持ちを考えられなかったりするのは、怖いですね。
ほんと私、稲葉浩志さんに対しては、何をしてもガッツで受け止める心の準備を27年かけてやってるので、タトゥーだの失言だの体調管理不備くらいじゃ、何とも思いませんもん。
「あの子が元気で、笑っていてくれたら、それで良い」
そんな風に私も他人に対して思うこと、あったんだ。
すっかり忘れていました…
いつか、身近な好きな人もことも、そう思えたら良いのかな?
でもそこはやはり新解さんの謎のように「愛」に行き着く前に「恋」をしてから、段階を上がっていきたいんですけどねぇ。
という本日はなんのとりとめもないお話でございました。
あー怖いファンってホント怖い。そういう人の攻撃的な言葉読むの、疲れちゃった…
誰か芸能人を好きでいる時くらい、ただただ胸をキュンキュンさせて楽しみたいのに、なんなんでしょうねー?