先日ホンマでっか!?TVのさんまちゃん誕生日スペシャルを観ていて、
「これで癒されると『寂しさ』を忘れられますよ」
というような言葉と共にプレゼントを渡した出演者に、さんまちゃんは
「俺は『寂しい』って思うほど余裕が無いねん。
『寂しい』って言う人は余裕がある人だから」
と言っていて、さすがさんまちゃんの名言!と思いました。
時々書く友人Aは「1人でいるのが好きだし、仕事が終わって家に帰ると『やっと1人になれた』ってホッとする」と言っていました。
元々の性格もあるかもしれませんが、彼女は『寂しい』と思う余裕がある生活をしていないかもしれません。
また、色んな方のブログを読んでいて「寂しい」ということを書いている方は、仕事が安定していたり、友人もいて趣味もあり、ふとした時に孤独感を感じたことを書いているけど、
「うわー、この人、人生詰んでるな」
と思うような方は、寂しいどころか自分に自信満々で、周囲を馬鹿にして噛みつくような上から目線のブログを書いている方が多いような印象があります。
実際問題、生活にある程度余裕がなければ、失恋ごときでウジグジ悩んで寂しがっていられないかも?
金銭問題だけでなく、心の余裕、時間の余裕がなければ「寂しい」とは思わないのかもしれません。
さんまちゃんは仕事が忙しくて、色んな人達と会って話して考えていて、「寂しい」と思う余裕がないのかもしれませんね。
確かに私も少し前に病みがちになっていた時は、友達に会って話を聞いてもらったり、ブログを書く気力もありませんでした。
「寂しい」とは思いましたが、それを埋めるための行動をする元気が無く、ただ部屋でHuluを観たり寝たりして、ひたすら
「今は休むことが仕事」
と思ってゆっくり過ごしました。
今、友人Aは休養を取っているので少し「人に会いたい」という気持ちも出てきているようですが、彼女は落ちているときは全然周囲と関わらなくなります。
そういう時にTwitterばかり見ているからか、段々と価値観が極端になり、怒りっぽくなってきた気がします。
戦争とか、セクハラパワとか、政府とか、そういう問題に対して
「こんなのおかしい!普通こうすべき!」
みたいな攻撃的な怒りを口にすることが増えました。
余裕が無い人は、寂しいと他者を求めるよりも、他者に対して怒りを溜めてしまいがち、なのかも?
「イジメをするのは暇なヤツ」
という言葉があり、実際にそうだなぁと思う時がありますが、そういう人達は「時間」には余裕があるけれど「心」に余裕が無いのかもしれません。
出来ることなら「余裕があって、寂しく無い」人になりたいものですが、今後「寂しい」と思った時には
「私、まだまだ余裕があるんだなぁ。じゃあ次に何が出来るかな?」
と考えていけるようにしていきたいな、と思いました。
ので、この土日は久々に過去のブログも見直したり、来週は友人達に会うからアレコレ手付かずにしていた所用を片付けようと思います!