渋谷の山下書店をウロウロしていたら、エッセイコーナーにこちらの本が平積みされていました。
うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち 【電子書籍限定 フルカラーバージョン】【電子書籍】[ 田中 圭一 ]
へーと思って、その後電子書籍で買いました。
最近は本屋でチェックした本が電子書籍で売られていたら、そちらで買います。
やはり電子書籍の方が安いし、本棚はすでにいっぱいなので。
楽天koboだと10%オフクーポンももらえるし。
自分自身も友達たちにも、鬱の経験者は多いです。
私は失恋がキッカケで食事が取れず、波のように押し寄せる怒りや寂しさを男性にぶつけてしまい、その感情を1人で処理できなくて薬を処方してもらったのと、
仕事が不安定だった頃に飛行機でパニック発作を起こして病院に行ったことがありました。
パニック発作のときのことはこちらでも書いています。
ちなみに今は飛行機に薬無しで乗れます。
過呼吸もこの頃しか出なかったのですが、どうも周囲を見ても30歳前後に心身が不調になる女性が多かったので、そういう時期だったのかもしれません。
友人たちは、卒業間近に将来への不安などから鬱になったり(同時期に短期間だけ親族と交際して振られたのもキッカケかも)、仕事のストレス、自分の能力と環境への不満、長時間の労働、などから鬱になりました。
その為、色々と鬱病に関する本やネット記事を読んだり、周囲から話を聞いてきましたが、総合してみて思うのは
失恋の落込みと鬱病は、似ているけど違う
ということです。
失恋の落込みから鬱病になることはありますが、一時的な気持ちの落込みだけで済むこともあります。
でご紹介したドラッグストアでも買える薬は、気分を落ち着かせてくれたり、よく眠れるようになるので、一時的な落ち込みのときには効きます!
鬱病かと思って心療内科に行ったけれど
「あなたは鬱病ではありません」
と診断された友人もいました。理由は
「死にたい、とは思わないから」
と言われたそうです。
仕事のストレスで血尿が出たり、潰瘍が出来たりする人もいましたが、それでも「死にたい」と思わなければ鬱病とすぐに診断はされないようです。
しかし失恋に苦しんで、それが長期間続いてしまって、鬱っぽくなってしまう方の気持ちはよくわかります。
今になって思い返すと、私は鬱だった、というよりも、感情のコントロールができなくなっていたので、薬とカウンセリングを併用するのが良かったんだろうなぁと思うのですが、総合病院や街の心療内科だと、カウンセリングをキチンとしてくれるところはありませんでした。
やはりカウンセリングは認知行動療法のようなのが良いのではないかな、と思います。
「ウツぬけ」を読むと、紹介されている方々の鬱になったキッカケのほとんどは仕事と、幼少期の心のトラウマでした。
でも鬱になったときの症状と言うのは、失恋の落込みと違い、脳内で辻褄がうまく合わなくなってしまっていたり、起き上がれなくなってしまっていたり、本当に深刻な状況だったようです。
興味深いなぁと思ったのは、作者さんは「3、5、11月に不調になりやすい」ということに気が付き、その理由は気温差が激しい日があるからだとわかった、というものでした。
そういえば友人たちも「低気圧で具合が悪いから今日は一日寝ていた」とか言ってましたね。
確実にコレ!というキッカケがある人もない人も、自覚症状もある人もない人も紹介されていて、
「人ってこんなにストレスを溜め込みやすいんだなぁ」ということがわかると共に、それぞれの方の鬱から抜け出した理由が書かれているのがとても良かったです。
コレは一番効果がありそうだな、と思ったのは、朝起きた瞬間に「自分のことが大好き!」と思うようにする、というものでした。
アファメーションの一種だそうですが、こういう「自分のことが大好き」だと口に出して言ったりすることにより、自分に良い意味で自信を持って一日を過ごせるようになるそうです。
日本人は自意識が過剰だったり自信満々な人を嫌う傾向がありますが、だからと言って卑屈なくらい自分を卑下する人も嫌いますからね。
失恋で自分に自信を無くしてしまっている人の中には、そんな風に「自分で自分のことが嫌い」と思ってしまって、謙虚どころか卑屈なくらい自分を悪く思ってしまう人もいるのではないでしょうか?
今失恋で落ち込んでいて、もしかしたら鬱なのかも?違うのかも?と思った方は、一度この「自分で自分を認める」というのをやってみると良いかもですね。
そして鬱状態のときには
「相手の言葉を勝手にどんどん悪い方に解釈して落ち込んでしまう」
という傾向があるそうです。
見方を変えれば前向きで親切な言葉も、自分を否定して傷つける言葉に思えてしまうんだとか。
これは恋愛でもあることな気がします。逆に明らかに酷い言葉でも、自分に都合よく受け取ろうとして傷つき続けることもあるから難しいのですが…
とかく失恋した後は、相手の言葉や態度をどんどんネガティブに解釈して、思い出しながら怒ったり傷ついたりしてしまいがちですし。
ちなみに先日飲み会で精神科の先生と話したのですが
「失恋で鬱状態になって食事が取れなくなった人は、どうしたら元気になれますか?」と聞いたところ
「断食すればいいんですよー。限界まで食べなければ、腹が減りますからね。人間はそういう欲望には勝てないですから」
と笑っていて、なるほど〜と思いました。
確かに「食べなきゃ…でも食べたくない…」と思いながらガリガリに痩せていってしまう人もいますが、そうやってだんだん食べずに痩せていくよりも、一気に断食とかして短期集中で食欲を限界まで我慢しちゃったら、
「あ、やっぱりご飯食べたい!」
って思うようになるかもしれませんね?
そういう冷静な判断が全く出来なくなってしまっていたら、それは鬱になっているということかもしれません。
でも、なんとなく落込み続けてはいるけど、単に失恋の落込みなだけかな〜と本人は思っていても、それが引き金にかって本当に鬱になってしまうこともあるそうです。
青空を見て気持ちいいと思えるか?
ご飯を食べたときに美味しいと思えるか?
面白い本やテレビを見て笑えるか?
それが出来ているなら、今は辛いときがあっても大丈夫!
本当に鬱になっていたら、もう文字も読めず、目の前に置いてある家具さえ認識できなくなってしまうこともあるそうです。
「たかが失恋」とは思いませんが、その失恋をキッカケに心身ともに壊してしまうのは、なるべくなら避けたいものですね。
ちなみに今の私はずいぶんふてぶてしくなったので、失恋してもしっかりご飯を食べられます!
落ち込んでもウットを飲んで眠って、ってのを続けていたら、イライラしたり落ち込む日がどんどん減ってきました。
若い頃の私は、なんであんなに辛い時間を長期間過ごしてしまったのかしら…
まぁそれはそれで、他人の痛みを分かる人間になるためのステップだった、とも思うんですけどね。
「やっぱり彼のことが好き」という気持ちと「彼がいないと生きている意味がない」というのは別の話なんだな、と最近分かってきました。
「それはもう恋じゃなくて執着だよ」
と人から言われても全然理解できなかったのですが、その違いは
「彼のことを思い出すとホッコリとした気持ちになって、未来が楽しみになる」のが恋で、
「彼のことを考えると苦しみや憎しみで一杯になるのに、会いたくて会いたくて仕方がない」というのが執着なんだと思います。
私にドヤ顔で「それはもう執着だよ〜」と言ってた人たちは、一般論をただ口にしただったんじゃないかな?って思うんですよね。
それだけの言葉で理解できるような状況じゃなかったんですもの。
執着が必ずしも悪いものなワケでもないし。
でもそのせいで自分自身が苦しくて生きてるのが辛いなら、その執着心は手放していかないと、鬱になってしまうかもしれないな。
と、改めて思った休日でした。