小林麻央さんに関するYahoo!ニュースのコメント欄には、優しい言葉と、驚くほど冷淡な野次が書き込まれています。
私が大嫌いな「〜すべき」「普通〜する」という、「自分は正しい」と思い込んで独善的な発言をする人にウンザリすると共に、全く共感出来ない感情を持っている人がいることに驚かされます。
そんなコメントの中には、「格差社会を見せつけらた」と感じて暴言を吐く人がいるということを知りました。また、
「もっと苦しんでる人もいるのに」
と書いている人が何人かいて、
「え?それって誰かと比べること?もしかして、比べることが平等で視野が広い感情だとでも思ってるの?」
と、心底驚きました。
麻央さんが有名人だから取り沙汰されることを、「ズルイ」と感じる人たちもいるんですね。
美人で頭が良くて、姉妹仲も家族仲も良くて、旦那さんに愛され、一男一女をもうけ、お金持ちで、さらにブログが話題になり、そのブログで広告収入を得る麻央さんのことを羨むのは、気持ちは分かりますが、「妬む」というのは、なんて惨めな感情なんだろう、と思ってしまいました。
「他人は他人。比べるものではない」
なんて綺麗事は言いません。
本人の努力だけでなく、生まれ持った資質もあります。
優しい家族がいる元に産まれ、愛されて育った彼女のことは、羨ましいです。
顔や学力や性格は、家庭環境の影響が大きいものですしね。
努力したくても出来ない人もいれば、努力しただけ幸福を手に入れる人もいます。
しかし、「〜すべき」のべき論が大嫌いな私でも、「他人を妬むのは止めるべき」と言いたいです。
それは、自分自身を貶めるだけで、誰1人幸せにもならないし、自分自身がスッキリしない、無駄な感情だからです。
「羨む」のは、自分もそうなりたいと願う、ポジティブさのある感情だと思います。
「羨ましいなー私もそうなりたいなー」
と思って、近づく為の努力をするのは意義がある。
でも「妬み」は何も産みませんよね。
女性だけでなく男性でも妬む人はいるのに、「女」という文字が入っている「妬み」。
Wikiを見ると「羨望」が出てきたのですが、「最も不幸の強力な原因」と書かれていました。
これは海外の人が言っているので言語の違いがあるのかもしれませんが、「良い羨望」=「羨む」で、「悪い羨望」=「妬み」なのかな、と思います。
例えば、好きな人が別の女性と付き合ったり結婚したとき、「妬み」は沸き上がると思います。
「自分が望んだ幸福を手に入れた他者」は妬みの対象ですし、その立場は自分がどんなに努力しても手に入らないものであれば、妬んでしまいます。
でも、妬んでも何にもならない。
「妬まれてるから別れよう」
なんて思ってくれるワケがない。
「他人に妬まれたくないなら、ソッと静かにしているべき」
と思う人もいるでしょうし、それはそれで分かります。
「幸福な姿を見せつけられる」
というのは、こちらを惨めな気持ちにさせるものです。
「あーあー世の中にはこんなに幸福な人がいるんだ。ズルイなー知りたくなかったなー」
なんて思ってしまうことは、そりゃあるけど。
イコール、「私は幸せじゃない」と認めて、口に出すことになる。
比べても仕方ない人と比べて、勝手に傷付く。
そんな格差を見せつけた相手を妬む。
うわー、なんて非生産的なんでしょ。
女性あるあるですが
「なんかさー幸せを見せつけられてるって感じで、嫌な気持ちになるんだよねー」
「分かる!私もあれは鼻に付くって思ってた!」
「だよねー!」
なんて会話をすることも、あったりします。
それで「惨めな私たち」を共感し合い
「私たちは、同じくらい不幸だよね」
と確認し合う、女のマウンティング。
しかしよくよく考えたら、SNSの結婚報告だとか、年賀状の幸せ家族写真アピールと違い、麻央さんは「自分のブログ」で発表していたわけで。
それをわざわざ読みに行って
「妬ましい」
と思うのは、それは自虐的過ぎるでしょう。
招待されていない結婚式の会場に行って、柱の影から「ぐぬぬ」って思ってるみたい…。
「読みたくなくてもニュースになってるから」
とか言って、わざわざリンク開いてる人もいますしね。
嫌なら開かなきゃいいのに…。
世の中、非生産的なことはたくさんあるけど、それにしたって「妬み」は自分のことを貶め、傷付けるだけの感情だと思います。
その妬みを他の人と共有したところで、足の引っ張り合いでしかない。
アラフォーが20代の女性を妬んでも、他人からは鼻で笑われるか、惨めな人同士で傷を舐め合うだけです。
「羨ましいよね。私たちはそうはなれないけど、他に何か出来ることはあるのかな?」
と話し合うならともかく
「むかつくよねー」
「ねー!」
と話すだけなら、それって単に
「出る杭は打ってやろーぜ」
ってだけの感情だと思います。
よし!じゃあ生まれ直そう!次にそんな幸せになれる保証なんて無いけどね?
「幸福を見せびらかすべきではない」
と思うなら
「他人の幸福を妬むべきではない」
って言われるだけですよ。
「じゃあ自分なりに幸福になる努力したら?」
なんて言われたら、怠け者扱いされてるみたいで、気分悪いじゃないですか?
最近、常に前向きな女性に言われました。
「嫌な感情が沸いても、それは自分ではどうにもできない問題のときは、もうその感情には触れないようにした方がいいよ」と。
自力で解決出来ないことを考えても、意味がないから。
考えて、建設的な答えが出ることならともかく、幸福な他人を叩いても何も建設的な答えは生まれない。
「格差社会」が気に入らないなら、カルト村にでも入ればいいのでは?
まぁカルト村の中にも格差社会はあるようですが。
頑張っても頑張っただけ報われない、共産主義の価値観の中で暮らすしかないでしょう。
「他人を妬んではいけません」
なんて宗教とか偽善者みたいな言葉ですけど、人の中に沸くネガティヴな感情を一方的に否定はしたくないですけど、これだけは本当に、気持ちの悪い感情だと思います。
妬みの感情を口にしても、一瞬ストレス発散になった気になっても、それは多分後々、より一層ストレスを溜め込むことになります。
だって捌け口がない感情ですから。
私は人から妬まれる心配もない暮らしなので安心ですが、それでも、もし他人から妬まれることがあったら
「こっちは相応の努力してんだよ!
何も知らずに妬んでんじゃねーよ、バーカ!」
って言いますね。
(私は田舎のヤンキー並に口が悪いです)
「ありがとうございます。私、本当に恵まれてるなって思って、ありがたいです」
って笑顔で言える女性になりたいものですが…
努力も幸福も、他人と本当に比べられるものじゃないですからね。
麻央さんが取り上げられているのは、麻央さんが生まれ持ったモノだけでなく、努力して手に入れたモノがあるからでしょう。
闘病の末に力尽きた彼女に
「もっと辛い人がいる」
と言える人は、何を知っていると言えるんでしょうか?
「同じ病で今苦しんでる人が不安になるから取り上げるべきじゃない」
と言う人には
「読みたい人と、読みたく無い人、全ての人を納得させることは出来ないし、世の中全て自分の思い通りにならないということを知るべき」
と言いたいですね。
私の母は先日2度目の乳癌の手術をしましたが、麻央さんのブログを読んで欲しいですね。
「私のこと心配してー!自主的にフォローして当然でしょ?子供なら」
と思い込んでる母親に
「あなたは麻央さんくらい、周囲や家族を思い遣ってますか?」
と言いたいです。ま、あの母親なら「思い遣ってる」と勘違いしてそうですが…
弱い人に寄り添うのは大事なことだけど、弱い人の中にも両極端の立場の人がいて、その中間を見つけることが出来ないこともあります。
震災の映像を観たくない人の為に、震災の全てを取り上げないことが出来ないのと同じです。
「他の人の気持ちも考えろ」
という言葉は、諸刃の剣です。
「見たくない人の為に誰にも見せない」より
「見て参考に出来る人がいるから見せる」の方が建設的なんですよね。
麻央さんのことはあくまで例ですが、恋愛でもなんでも、こういう「妬み」について考えても、やはり答えは
「その感情には触れない」
以外に解決策が私には見出せません。
人を妬んで、醜い感情に押し潰されるのだけは止めたいし、他の方にも出来れば止めたいと思って欲しいなぁと思いました。