メンバー5人中、私含め3人がスルーしていたボランティア体験ですが、私が「この人が返したら自分も…」と思っていた方が、ついに返信をしました。
メールが迷惑メールに入ってしまっていた、ということで、丁寧な挨拶と、参加の表明が書かれていて、やはりキチンとした大人な方だなぁと思いました。
私も返信しなきゃ…と思いながら、予約していた皮膚科に向かっている駅で、知らない番号から電話がかかってきました。
改札に向かいながらとりあえず出ると、事務局からでした。
周囲の音でよく聞こえず、予約に遅れそうなので
「今、出先なので」
と言って一旦通話を終えました。
電話がかかってきた、ということで、勝手なことに追い詰められた気持ちになりました。
診察を終えて、手術の日程を決めました。
で書いた粉瘤の手術なので、特に大きな病気の手術ではないのですが、ちょっとドキドキ。
そして、帰り道の電車の中でまた事務局から電話がかかってきてしまい、終了ボタンを押すと留守電が入りました。
ものすごく身勝手な言い分ですが、私は留守電にメッセージを残されるのが大嫌いです。
留守電を聞く為に数十円かかる、という通話システムが嫌いなので、仕事の場合は使用しますが、プライベートでは使用しません。
しかし、「メールを見ている」という意思表示をしていないから電話が来るのは、当然のこと。
タイミングの悪い電話、残された留守電に、アワアワしつつも、折り返し連絡もしませんでした…
帰宅してから、ボランティアについて少しググりました。
ボランティアを12年やっている、という方が
「ボランティアが出来る人、出来ない人」
という記事を書いていました。
「こんな人は、ボランティアが出来ないからやるべきではない」
という項目がいくつか書かれていました。
●自主的に動けない人
●社交的ではない人
●不誠実な人
は、迷惑だからボランティアに来ないで欲しい、と書かれていました。
この記事に、私が事務局に感じていたモヤモヤと同じものを感じました。
その後、ボランティアに申し込んだけど断った、というエッセイマンガを読みました。
分かる!気持ち、めっちゃ分かる!
このマンガを描いている方は、本も出している人気の方のようで、コメント欄には
「断りの連絡を入れただけでも偉いですよ!」
と励ましの言葉が並んでいました。
それを読んで、やっぱりこのままじゃダメだ!と思い、事務局の担当者宛に不参加のメールをしました。
今回は本当に、自分の良くない性格について色々考えました。
私はボランティアを勧めてきた方の気持ちを尊重したくて参加をしようとしました。
何か新たな出会いや経験が出来るのでは?という期待がぼんやりとはありましたが、やはり興味を持てない、ボランティアというシステムに納得が出来ない自分がいました。
お見合いパーティーで出会った、好みじゃないけど人柄が良さそうだった方とカップリングし、連絡先交換はしたけど、やっぱり2人きりで会う気持ちになれない…
という時に似ていました。
「とりあえず、会ってみないと分からないし、会ったら気持ちが変わるかもしれない」という気持ちもありましたが、それは先方も同じようで、結局会うことはありませんでしたが。
ボランティアを12年やっているという方の記事を読んで、
「やっぱり自主的にやりたいって思う人以外は、関わるべきじゃないな」
と思いましたが、それと共に
「上から目線で感じ悪いな」
と思いました。
「無償、むしろ実費がかかってしまうけれど、あなたの出来る範囲で良いので力を貸して下さい」
という姿勢を求めている自分がいました。
そこまで好みじゃない異性でも、低姿勢で求められたら、人は悪い気はしない。
でも気が乗らない男性と会い、笑顔で接すること、自主的に動くことを求められたら、面倒だし罪悪感を感じる。
私が婚活を数回やって止めたのと、似ています。
恋愛・婚活マニュアルによく「とにかく色んな人と会って、文句ばかり言わないで積極的に相手の良いところを探しなさい」と書かれています。
好きな男相手なら、簡単に出来ることです。相手の嫌なところが見えても、好きな部分がそれを凌駕して、相手をもっと求めたいと自主的に思えます。
こういうマニュアルは、好きな相手に自然に出来ることを、まだ好きではない相手に自主的にすることを求めていて、それが嫌だなぁと思っていました。
でもそれが出来ない人が婚活市場に来たら、そりゃ相手も迷惑でしょう。
「本気で自分と釣り合う相手を探していないヤツは来るな!」
と思いますよね、そりゃ…
ボランティアも婚活も、未来の自分が手にしたい何かが明確でなければ、関わるべきじゃない。
どちらも「もしかしたら良いことあるかも〜」くらいの軽い気持ちで顔を出し、たまたまうまく良い出会いを掴める人もいるかもしれません。
それはやってみないと分からないけど、それで良いことが無さそうだった時に
「やっぱりやーめた!」
と言いながら他人に迷惑をかけてはいけない。
書きながら「私、何様なんだろう」と思っています。
誰からも別に求められているわけではなく、自分から「何か良いことがないかな?」と勝手な期待をして、それが思い通りのペースで進まないと、追い詰められた気持ちになって文句を言う。
「人は、自分がやりたいことだけを、全力で頑張ればいい。
やりたくないことは、やらなくていいんですよ」
という言葉もよく聞きます。
本当にやりたいことをやる時は、どんなに面倒でも困難でも、目的に向かって集中して頑張り、それを楽しみ、達成感を得ることが出来ます。
でも一方で「気が進まなくても、とにかく何でもやってみた方がいい」という言葉もあります。
こういう相反する一般論が、自分を縛って追い詰めているんだと思います。
私は自分自身の心の中から湧いてくる感情以外のことに関しては、とても他人任せで弱気で無責任です。
まぁ、誰でもそうなのかもしれません。
人一倍自分の欲望に忠実で、好奇心を持って動きたい私は、直感的に関心を持てないことに向き合うことが出来ません。
でもそのせいで、「手に入るかもしれなかった幸福」を逃すのも嫌なのです。
すっごく自分勝手!
そういえば先日、某アニメ会社の社長さんと飲み会でお会いしました。
その方の奥様は外国の方で、国民はみんなキリスト教の信者で、その教えに従って生きることを求められることに辟易していたそうです。
ので、無宗教な日本で暮らせることにとても満足しているのだとか。
確かに日本は無宗教、というか、宗教の良いとこ取りで生きていける、勝手で自由な国ですね。
神道も入信していなければ、自然霊に感謝して、願いごとしているだけで良い。
「神様が願いごと叶えてくれないかな〜」
って他力本願な気持ちで、気が向いた時に少額払えば良いだけなんて、楽ちん!
そうやって身勝手に生きながら、やりたいことだけやり、嫌なことからは逃げ、でも幸せになりたい。
そういう自分に改めて気付きました。
そんな私が、私に好意を持たない男性を追ったり、責めたり、怒ったりするのは、そりゃダメだわ。
元彼も鈴木さんも、自分の気持ちに忠実に生きているだけです。
自分が出来ないことを、他人に求めていたんだなぁ。
「誠実さ」は他人に求められて発揮するものではなく、自分の心の中から「そうありたい」という気持ちが湧いて発揮するもの。
ボランティアの件は、人に迷惑をかけてしまい、本当に申し訳なく思います。
でもお陰で、自分の中の感情の一つをクリアにすることが出来ました。
だから、いつかまた「これをやりたい」と思うボランティアに出会った時は、全力で頑張りたいです。
今回のボランティア内容は、全く興味が無いとまでは言い切れないものでした。
ただ、いつかそれを自分が利用するシーンが思い描けず、また自分自身がボランティアというものを求めていないことに気付きました。
無償の手伝いを要求することに抵抗があります。
12年ボランティアをやっているという方に、面と向かって言う気はないけど、思うことがあります。
ボランティアをやるべきではない人は、
「無償で誰かに何でもいいから奉仕したい、と思えない人」
「時間やお金を不特定多数の他人のために使っても良いと思えない、余裕の無い人」
「メリットがあっても無くても良いから、何でもやろう、と思えない人」
そういう人だと思えますし、ボランティアに向かない人はダメ人間のような言い方をされたら、ボランティアをしたいと思う人は増えません。
ボランティア活動を拡げていきたいのであれば、参加しない人、逃げる人を責めるべきではない、と勝手ながら思います。
自分が出来ないことを他人に要求しちゃダメだけど、自分が出来ることは他人も出来るし、出来ない人はダメだって言うのも良くないですね。