私はよく神社でおみくじを引きます。
半数は大吉です。
引きたびにInstagramに投稿しています。
ググると、大吉を引く確率は29%と言われているそうです。
もちろん、中吉や小吉も引くし、お寺では凶をひいたことも数回あります。
でも、半数は大吉で、今日も東京大神宮で大吉を引きました。
本当は神無月前に、良縁祈願に行こうと思っていました。
ので、家の神棚もどき(IKEAのワイヤーラック)からお札を持ってきたのですが、ボーッとブログを書いていたら受付時間が終わってました…
おみくじが当たった!ということに関しては、過去にどこかで書いていますが、「悪いことが当たった」という記憶はありますが、良いことが当たった記憶はありません。
それはきっと、良いことは記憶に残りづらいのだと思います。
これまで色んな気持ちで東京大神宮に通ってきましたが、今日は晴れ晴れとした気持ちで来ました。
この2日間このブログに色々な気持ちを書いたことで、とてもスッキリした気持ちです。
この気持ちがまたブレたり、揺り戻してしまったりするのは分かっていますが、とりあえず今は良い気持ちです。
ボランティアに不参加の連絡をしたことと、「執着」について考えたことで、ここしばらく鈴木さんに感じていたやり場のない虚しさと悲しみと怒りみたいなのが、少し無くなりました。
単純に鈴木さんに会わない日が何日かあれば、私は鈴木さんを好きな気持ちが薄くなります。
休日にメールやLINEをしたいと思う頻度が徐々に減り、
「鈴木さんが、自由に好きに楽しく暮らしていてくれたら、それでいいやー」
という気持ちになりますが、これもたまにぶり返す感情なので、今はそんな気持ち、としか言えません。
会って話せば、好きだと思うし、会わなければそれはそれで満ち足りた気持ちになります。
「叶わぬ恋に執着している人」は、こんな風に四六時中思い詰めているワケではないんじゃないかな?と思います。
「彼が私を求めてくれたら全力で応えたいけど、そうじゃないなら、このままでいい」
そういう気持ちの時は、「執着は悪だ」と思います。
でも執着をしている時は「執着は悪ではない」と思います。
私は両方の気持ちを知っているだけ、知らずに「悪」と決めつける人を「愚かだ」と思います。
「愚か」は言い過ぎかな。「幸福な世間知らず」と思うのかも。
私は執着心を知っているから、楽しめる漫画や小説やドラマや映画があります。
この感情を知らない人には、楽しめないんだろーなーと思うのです。
「何であなたが執着しているのか理解できない」と言われても「そっすか」としか思えません。
これは言葉で説明できる感情ではないから。
私は、我慢をしたくないし、相手を無理矢理自分の思い通りには出来ないということを、改めて考えました。
神様に何かを捻じ曲げてでも、願いを叶えてもらうことは出来ませんでした。(出来る人もいるらしいですが)
ところで、神社帰りのカフェで、目の前の夫婦?(双方指輪あり)が公然わいせつをしています。
咳払いをしたら一旦止めたのですが、女性が男性のモノのあたりで手を動かしているのが見え、マジで勘弁して欲しいのですが…
私もファミレスでかじかんだ手で元彼の手を握り、甘えて温めてもらったことはありますし、別のおじさまの車で駅前でチューとかしたことありますが、公然わいせつはしたことがありません。
家に帰ってやってくれ…なんだなんだ、ダブル不倫か?
神様に祝福された結ばれたカップル様なのか?
羨ましくはないな。
っていうか、どうも夫婦とは思えないくらい初々しいバカップルや絡みが多いけど…
いや、他人のことはどうでもいい!
日本の神様は結構俗物ですからね、こんなのを神社帰りに見ることもあるってことで。