先日の京王線の事件、怖かったですね…
何人か乗客が状況を動画で撮影していて、それがTwitter投稿されたのをマスコミが「独自取材」と手柄にして放送していたのには驚きましたが、でも人々が声を掛け合って助け合って逃げる姿に、ちょっと場違いかもだけど感動しました。
「東京の人は冷たい」ってよく言われるけど、そんなことは本当に無くて、私も何度も他人に助けられてきたし、ああいう時は自然に協力するもの、という気がしています。
他人に助けられた経験があると、それを今度は自分も誰かにして恩返しとしよう、と思うし。
ああいう事件があると、「恋も仕事も友情も上手くいかなくなって、死刑になりたかった」という独善的なことを言う犯人を猛烈に批判する人がSNSに溢れかえりますね。
私は犯人の行動は全く理解できないけど
「そんな性格だから何もうまくいかないんだよ」
と笑って匿名で揶揄する人の気持ちも分かりません。
無差別殺人は圧倒的に犯人は男性だという統計がありますが、こういうのはねぇ…どこまでが本人の責任で、どこまで政治や行政が手を出すべきものなのか、明確な線引が無い気がするんですよね…
とりあえず「ジョーカーに憧れた」は私は失笑しましたが…
中二病か!?
しかも犯人はまだ24歳とかだったから、中年のジョーカーとはワケが違う。
ジョーカーは本人は精神病で投薬とカウンセリングを受けているけど、それが行政の方針で中止になる、とか、母親が痴呆状態とか、仕事が本当に全然うまくいかないとか、恋していると思ったら妄想だったとか(ネタバレだけど…)、キツかった!
あの年齢であの状況、一般的には自死を選びたくなるだろうになぁ、とは思いました。
そう言えば昔のバブル崩壊時には、事業に失敗したり、リストラ対象になった中高年が自死する、というのがよくドラマなどでもエピソードとして使われていましたね。
もう取り返しがきかない状況って本当にあるな、と、自分が中高年になったらつくづく思います。
若い頃は「生きていればなんとかなる」と言えたけど、それがきかない年齢があるのよ…
でもそこを特集するニュースはあまりありません。
だって、そこを取り上げてもお金にならないし、非生産的だろうから。
「相談してくれたら良かったのに…」
と後から言ってくれる友達がいるのも若い内、というケースも多いはず。
家族がいれば助け合えるとも限らないしね。
私はまだ両親と兄夫婦がいるけど、そのどちらもいない人もいる年代です。
メインブログでも今ちょっと落ち込んでるのは書きましたが、
「あの時もっとちゃんと出会いを求めて行動したり、元彼とちゃんと接していられたら、何か変わっていたのかな…」
と思ったりはします。
でも毎回「だからって、自分の意志に反する我慢を出来る性格ではないもんな」と自分を顧みたりもします。
こういう「楽しいことだけして過ごし、高齢になってから税金に助けてもらおうと甘えている中高年がウザい」というツイートを最近見かけました。
非正規雇用の中年女性のニュースに対するコメントでしたが、私はあのニュースを見た限りでは、こういう状況になるのは人それぞれ能力や価値観の違いも加味して考えないといけないんじゃないかなぁ、と思ったくらいしか感想はありません。
なんか皆んな根底に「辛いことを乗り越えて生きなければいけない」というのが大前提になっているのも怖い。
でも実際に辛いことを乗り越えないと手に入れられないことも多い。
その狭間で自身の選択を後悔するタイミングが来て、そこで他人から責められても、傷が深くなるだけなのよね…
誰もが誰もに優しい世界を望んでいるけど、何故かそれを声高に叫ぶのは自称リベラルのデモとか大好きな過激派イメージの人が多い、というのも最近ホント興味深いなぁと思います。
私はどちらかと言えばやっぱり保守的。
それを左寄りの友達に責めるように言われたこともあれば、同タイプの友人が自分から
「私はどっちかって言えば右寄りの中間」と言っていて、同意したこともあります。
自己責任な部分と、周囲の環境とか、先入観の押しつけとか、なんかもう疲れたな〜。
とか若い内はまだ愚痴として言っていられるけど、中高年はもうその責任を取る年齢なのよね…
最近本当に、社交辞令言う人とか、頑なに反ワクの人とか、気にしなきゃいいのに目に入るとイライラしちゃって、こんな性格だから恋も仕事も友情も上手くいかなかったのかな〜と我ながら思います。
「自分は自分、他人は他人」
とよく言うけど、それ貫くと結局孤独になる、という未来もあるんだけど、そこを考慮したアドバイスはあまり聞かないかなぁ。
でも今のところ私は、自分も他人も傷つけたいとは思いません。
そこまで落ちてはいない、というか、まぁ楽しみなこともまだあるし。
それが全部無くなったらまた考えようかな。
きっとそれは数年後か10年後か20年後にはやってきます。
その時に世界が、日本の景気が良くないと、人生詰んだ、となる人はとても多くなるはず。
せめてそれを回避するために出来る行動をしたいものです…
ということで?今日はお散歩に行ってお寺でお参りをし、おみくじを引いたら大吉でした!
110円(お賽銭10円、おみくじ100円)でテンションを上げてくれて、ありがとう神様…と書いたけど、お寺だから神様じゃなくて仏様だったわ。
明るい未来はボーッと待っていても来ない。
だから、そのために出来ることはする。
それでもダメなら、その時また考える。
無理して動いて余計に傷付くこともある。
若い頃から積み重なった辛い思い出、経験が足枷になり、落ち込むこともある。
「友達なんていなくても良い」
という言葉をよくSNSで見かけるけど、それはほぼ嘘に近いテキトーな、無責任な発言だと思います。
人はやっぱり、頼れる人がいて良かった、頼られて良かった、という経験があった方が楽しい。
それを0から作り出すことは、中高年にはもう難しい。
まぁとりあえずお金があれば、なんとかなることも多いけどね…
中村悠一がわしゃがなTV配信の中で
「悩んでいる若い子がいたら、俺に相談してくれたらとりあえず『いくらで解決できるの?』って聞くのに」
とネタにしていて笑いましたが、それを言えちゃう大人になってみたかった気もします。
うん、なんだかんだ言って、私まだオタ活を楽しめてるわ〜。
それも出来なくなった時…中高年で孤独しか無くなった時、どうなるのかな…
と考えてしまうと眠れなくなるけど、それはもう、そうならないために今出来ることをするしかない、ですよね…
それが無心で出来る範囲で誰かを助ける、という行動に繋がる気もするんです。
京王線の事件の時、私がその場にいたら、我先に逃げようとは思わない気がする。
やっぱり未来がある若い子を先に逃してあげたい。
自分だけ逃げて助かりたい、とは思わないかな?
実際にそうなったら分からないけど…
色んな人がいるけれど、「こうはなりたくない」という状況にならないようにする。
それが今の中高年に最低限出来ることなのかなぁ…と思っています。
恋はもう…遠い日の花火だわ…