失恋で鬱になる人と、ならない人がいます。
その境目は何でしょう?
モテる人は、次が現れると信じているから気に病まないのか?
モテない人は、もう自分を愛してくれる人なんて現れないて思って気に病むのか?
よくストーカー化する人物像として描かれるのは、
内向的でプライドが高く、その実、自分に自信が無い人
というタイプだと思います。アイドルオタクの男性とか、喪女とか。
ストーカーに関する自論は以前
に書きましたが、ストーカーってのは本人の気質と、被害者の対応のどちらかに問題がある、もしくは両方に問題があるケースが多いと思います。
そして一つだけハッキリ言えるのは、「振られた相手に執着してネガティヴな発言をする、感情に起伏があり、突如暴力的になる」というタイプは、パーソナリティー障害の可能性が高いということです。
親に愛されていなかった。毒親だった。イジメに遭ったことがある。コンプレックスがある。
など、家庭環境や生まれ持った資質のために、執着心の強い人になることはあります。
毒親(主に母親)に影響を受け、その後苦しんだ方のケースは
でもご紹介しましたが、自分の感情が抑えられないという性格になってしまう人は多々いますね。
私は自分は執着心が強いという自覚があり、それは自信の無さとか、そういうのから来ているのかな?とここ数年考えていました。
そして最近気づいたことがあります。
元々、少女漫画の読みすぎのような、恋愛依存症な部分があるとは思っていました。
恋愛は全ての苦痛から開放してくれるもののような、幸福の頂点のような気がしていました。
いつからそう思うようになったのか?と思ったときに
「そう言えば小学生の頃、いつか好きな人が私を愛してくれて、その人が家族の枠から連れ出していってくれるんじゃないか?」
と思っていたことに気付きました。
小学生にとって、家族以外に自分を大切にしてくれる、いえ、家族以上に自分を大切にしてくれる人が現れるということは、とても幸せで生まれてきた意味ができることだと思ったんです。
その気持は今もあります。
元彼と付き合っていて優しくされたとき「生まれてきて良かった」と人生で初めてと言っても過言ではないくらいに感じました。
他にも受験に受かったとか、大好きな稲葉浩志さんのソロライブを前から3列目で観たとか、「うわー生きてて良かったー!」と思うことはありましたが、
「生まれてきて良かった」というのと「生きてて良かった」というのは別物です。
元彼に執着してしまう方の中には、私のように「生まれてきて良かった」と思うような幸福感を相手からもらったことがあった方もいると思います。
そうやって一時期幸福感をくれた相手が去って行ってしまったときに、激しい喪失感に精神を病むことはありますよね。
失恋をした人に「趣味を持ちなよ」とか「やりたいことをやってみたら?」とアドバイスをする人がいますが、そういうことで得られるのは「生きててよかった」という感情だと思います。
ストーカー化してしまう人の全てがあてはまるとは思いませんが、元々粘着気質だった人の場合は、自分が好意を持った人と出会ったときに
「生まれてきてよかった」という程の幸福感を感じることはなかったのではないでしょうか?
「生まれてきて良かった」と思うような人生を送りたい。
それは自分ひとりでもそう思える人生を送れる人もいますが、なかなか一人でそこまで思える状況を得られる人はいないと思います。
それでも、例え一度は自分にそこまでの幸福感をくれた人でも、今現在連絡を無視されたり、会えなかったりしているような人を思い続けていくことは
「生きてて良かった」という感情どころか、
「生きていたくない」という感情を芽生えさせてしまいます。
いつかまた連絡が取れるようになり、愛してくれるようになれば「生まれてきて良かった」と思えるようになるかもしれませんが、そんな日がくるかどうかは誰にも分かりません。
元彼と再会できるにしろ、出来ないにしろ「生きてて良かった」と思えることが無ければ、人生は無味乾燥した、ただ時間が流れるだけのものになってしまいます。
ストーカー行為は罪だからダメということではなく、自分も相手も不幸にする行動だから、やってはいけない、と私は思います。
今現在、元恋人が自分に何を望んでいるか?
それは「二度と関わらないで欲しい」なんて酷い憎しみを込めた感情なんかじゃなくて
「一人でいても、誰かといても、楽しく暮らしていて欲しい」
と心のどこかでは思っているではないでしょうか?
それは「自分が相手を不幸にした」という罪悪感に苛まれたくないから、ではありますが…
例えば私達が誰か恋愛感情を抱けない人に好かれたとしても、振るときに「不幸になって欲しい」なんて思いませんよね。
元恋人が、こちらに対して不幸を願う感情なんて抱いていないにも関わらず、それでもこちらは元彼に執着して苦しんでしまう…
それは、相手の感情はともかくとして、自分自身の感情を持て余してしまう状況になってしまっているから。
自分のことも相手のことも思うのであれば、せめて「生きていて良かった」と思える人生を送りたいし、「生まれてきて良かった」と思うことがまた起きて欲しい。
落ち着いたときにそう思えるのであれば、失恋でどんなに苦しく悲しい思いをして、ストーカー行為のようなことをしてしまったとしても、
それは人格障害なんかではなくて、一時的な心の病のようなもので、時間や自分の気の持ちようなどによって、徐々に改善していけることだと思います。
「男なんて星の数ほどいるんだからー」
なんて一般論は、私は好きじゃありません。
何人いようが、自分が好きになれて、相手も自分を好きになってくれる人と出会えるかどうかなんて、分かりません。
それでも、もしかしたら、もっと自分を幸福だと思わせてくれる誰かや何かに出会えるかもしれない。
元彼に執着している間は、その可能性を無くしてしまうときがあります。
好きな色や形の洋服を探しに街に出てみたり、海や山に出掛けてみたり、温泉に行ってみたり…
そんな気分転換となるようなことを、少しずつやってみて、
それでもまだ元彼に執着をしてしまうのかどうか?
それは自分で考えていかないといけないのかな。そんな風に最近思います。