「行くぜ、東北」のCM、木村文乃ちゃんの時も可愛かったけど、松岡茉優ちゃんのも可愛いですね。
元気で明るくてポヤーっとしてる女の子は、可愛い。
今やってるバージョンで、失恋した女友達と一緒に旅行していて
「世の中、女だけでいい」
という友達に
「それはちょっとなー」
と笑うのも、可愛い。
失恋した時に、女友達と冗談を言って笑い合って、元気をもらうことは確かにあります。
ちょうど1年前くらいに、鈴木さんのこと本気で好きにならないつもりでも、ついつい1人脳内で色々考え出してしまっていた時に、女友達に笑い飛ばされて
「そうだよねーファンサ(ファンサービス)だと思って、有難いと思っただけに留めておかないと、イタイ女になるよねー。
笑ってくれて良かった!ありがとう!」
と、とても感謝したことがありました。
その時は本気で、「鈴木さんは、ただの職場の癒し。私がファンでいるから、彼はファンサしてくれてるだけ」と割り切ったんですが、結局ちょこちょこLINEしたり飲みに誘っている内に、またズブズブと好きになってしまってました。
CMとかドラマとかマンガだと、すごく落ち込んでいる人が、あるキッカケで元気になれるってのがよくあります。
確かにその時は元気になる。
でもそれは数週間とか、数ヶ月とかで、また元に戻ってしまうことってあります。
もちろん、そのままキレイに吹っ切れることもあるけど。
で、そうやって元気になって、また落ち込んで、を繰り返しているのを
「いつまでもウザい!」
と思われてしまうこともあるわけですが、これは性格とか状況によるから、難しいですね。
前にも書きましたが、マンガ「サプリ」の中には、失恋した同僚を励まし、笑顔になって働きだしたと思ったいたら、自殺してしまった話がありました。
回復した!と思っても、問題自体が解決したワケではないから、またスコーンと穴に落ちたように思い詰めてしまうことはある。
けど、ドラマやCMだと、パッと元気になったらもう落ち込まない。
次の恋をして回復!ハッピーエンド!ってなったりする。
私は多分人一倍波が持続し続けるしつこいタイプだと思うのですが、問題自体が無くなるとか、他に目を向けるようになれば、あっという間に問題自体を忘れることもあります。
でも問題の原因が残ったままだと、また繰り返し落ちたりするし、それは意図的に変えることは出来ません。
5月半ば、鈴木さんに振られた直後にすごくダメな態度を取り続けていたので、それを謝るメールをしていました。
返信が来ていたのですが、
「どうせまた、うわべだけの礼儀正しくて可愛い文体の返信が来てるだけだろ」
と思って、開いていませんでした。
読んでも読まなくても、何も変わらないから。
私が欲しいのは、誠意ある本音を書いた返信でしたが、それをもらえないのは分かっています。
別にうわべだけの礼儀正しいメールに誠意が無いワケでは無いのですが、そういうのって
「とりあえずこの場を丸く収めよう」
って感じがして、却って落ち込むこともあります。
とは言え私だって、DVを受けている友達には、表面的な返信をしました。
思い詰めて長々と説得するような、気持ちを聞き出すような返信をするのは、彼女の負担になるし、私では何も出来ないと思ったからです。
彼女のことは本当に心配だし、ショックを受けましたが、だからって彼氏以上の物を私が渡すことは出来ない。
だから、すごく気にしているのに
「気にしてないよ。仲直りできて良かったね」
と返信しました。
そんな表面的な返信をこちらが送る側の時は
「こんな表面的な返信をすること自体が、気を遣っているってことだって、相手には伝わるだろう」
と思ってしまう節があります。
この理屈に当てはめると、鈴木さんが私に送る表面的な礼儀正しくて可愛い文体のメールも、彼なりに考えて書いている可能性もあります。
私のことを受け止められないけど、嫌いなワケではないから、無視することは出来ない、のかな?
これまでは、「何も考えずに、表面的な返信をしているだけだ。それでこちらが傷付くことなんて、鈴木さんは想像もしていないんだろう」と思っていました。
元々鈴木さんは、職場でも社交辞令を言いまくって
「また心にも無いことを言ってる!」
とつっこまれている人なので、本音を言いたく無い時に社交辞令を言ってるんだろう、と思っていました。
でも、これは私と鈴木さんの性格の違いかもしれませんが、私は社交辞令を言う時、ものすごく考えて言葉を選んでいる時があります。
「どう言ったら、相手を怒らせず、うまくこの場をやり過ごせるかな?」
と考えまくります。
下手な社交辞令は、聞き流されるとか、余計相手を怒らせることもあるけど、でも本音を言ったら余計面倒なことになる時もありますからね。
社交辞令を言われると、「うまく丸め込もうとされている」とショックを受けるのに、
自分が社交辞令を言う時は、相手を傷付けたくなくて、すごく考えてる。
そう思うと、私は何度も何度も鈴木さんに気を遣わせてきたのかな?と思いました。
やっと鈴木さんへの気持ちが冷めてきた今、あの時の返信を読んでみました。
やっぱり、礼儀正しく可愛い文体の返信が来ていました。
これを書いた後も、私は笑顔で話したり、不機嫌になったり、を繰り返し、都度都度鈴木さんは応対してくれていました。
素は結構面倒臭がりで、プライドが高く、冷淡なところがある鈴木さんが、仕事とは言えよくまぁ1年以上も私の対応をしてくれたものだと思います。
もっと簡素で表面的な対応だって出来るのに、いまだに笑い合って冗談を言って、可愛い文体の返信をくれるのですから。
「また連絡しますー!」とか
「きっと大丈夫ですよ☆」とか
女の子のような返信をくれる鈴木さんは、他の同僚にも「すみません。。」とかは送るけど、そこまで語尾を伸ばしたり、装飾をしたりはしていません。
私に対してそういう装飾付きの返信をするのは、彼なりの気遣いなのかな?
内心イラっとしてしまう時もあれば、癒やされるわーと思う時もあるのですが、それは私の上がったり下がったりする感情次第で受け取り方が変わっているだけで、彼はずっと、彼なりに気を遣ってくれてるのかなぁ、と今は思います。
(なんも考えないで、保身に走ってんだろ!と思う時もありますが…)
もっとスパッと、社交辞令丸出しの表面的な態度に変えることも、鈴木さんは出来ます。
それをしないのは、好かれていることに調子に乗ってる部分もあれば、私を気遣っている部分もあって、100%これって感情があるワケではないのかな?
決まっているのは、付き合うとかそういうプライベートな進展は無いということだけ。
そういう態度に、寂しいなぁと思う気持ちと、有難いなぁと思う気持ちがあります。
この気持ちの比率も、私のその日の気分で変わります。
私は短絡的な感情的なタイプだから、いくら同僚とは言え、面倒な人に可愛い文体のメールを送り続けたりは出来ません。
まぁ彼が本当に気遣っているのか、テキトーなのかは分かりませんが、私には出来ない芸当をしてくれてるな。
冒頭の友達を励ましてる松岡茉優ちゃんのように、さり気ない気遣いをずっとし続けてくれてるつもりだとしたら、私はそれに応えて、もう鈴木さんのことで落ち込んだり苛立ったりしちゃいけないんだろうな。
社交辞令に傷付いたり悩むことは多々ありますが、社交辞令を使う側も、それなりに優しさを持って考えているもの。
一瞬でパッと元気にはなれないけど、こういう積み重ねを無視したりしないで、ちゃんと感謝しながら前に進まないといけないなぁ。
と今は思います。この感情がいつまで続くかは、私にも分からないけど。
私はこの2カ月、このブログにグチグチ書きながらも、鈴木さんの表面的な可愛い文体をメールを読めるまでには回復しました。
根気強く私に笑顔で接し続けられる鈴木さんは、スゴイなぁと思います。
仕事に意欲的では無さそうで、彼なりに頑張ってるんだろうなぁ。
でもって、今も表面的には仲良くやっていけるだけの関係を作れるよう、私も頑張ってたんだな。
はたから見たら特別なことは何もしてないけど、このふんわりとした状況をキープする為に、私も鈴木さんも頑張ったんだ、と思えば、社交辞令も悪いものではないと思います。
こんなダラダラ書くほどのことじゃないのですが、それさえ過去の私は出来ませんでした。
一瞬でパッと元気になることは出来ないけど、でも、こうやって少しずつ前に進めるのは、私なりに色々考えて、周囲が励ましてくれたからだなぁ、と思うと、熱い本音のぶつかり合い以外にも、良いコミュニケーションの取り方があるんだ、と改めて気付けた気がします。
表面的な優しい社交辞令って、読む側は一瞬だけど、書く側はすごく労力使っているもの。
それを忘れてしまったら、相手の優しさを無駄にさせてしまうなぁ、と思いました。