明日新しい元号が発表になりますが、
「面と向かって相手にキツイ話し方で苦情を言えば、相手はハッとして改善するだろう」
という、昭和な価値観の人って未だにいるよな〜、しかもアラサー、アラフォー世代にもいるよな〜という気がします。
昨日友人がTwitterで、こんなツイートをRTしていました。
「分からないなら聞いて」ってよく言われてきたし、自分も使ってたけど本当にガチガチの新人の時って「何がわからないのかもわからない(混乱)」って感じだからさ。「判断に迷ったら聞いて」「自分の判断に責任が持てないなら聞いて」と言葉を変えたら後輩からの質問と確認がかなり増えたから言い方大切
— あと14 (@yuimas_1220) 2019年3月26日
なるほどー!
昨日書いたことにも通じるのですが、一般論の「分からないなら聞いて」を言うだけではダメで、それを更に噛み砕いた言葉を足した方が、相手には明確に伝わる!
でも昭和理論だと「そこまで言わないと理解できないなんてダメな奴」ってなる。
ま、こうやってTwitterで名言を読んで膝を叩いても、それを自分自身が実践するのはとても難しいんですけど、でもこういうツイートを読むと、生きる知恵が一つ増えた気持ちになりますね。
問題は、こちらはこうやって良い理論を知って後輩にこんな態度で接することは出来ても、自分の上司に上記の対応を求めることはなかなか出来ない、ということ。
場合によっては
「なんか小賢しいこと言ってる。ワガママな要求してる。」
なんて悪く捉えられる可能性もある…
Twitterにはこんな風に良い言葉がいっぱいあって、よく友人がRTしているのですが、やはりバズるツイートのほとんどが
上から目線のアドバイスではなく、こうしてみたら良かった、という個人的な感想で、同じ行動を他人にさせようと思っていない
という共通点があります。
「私はこんな悩みがあって、こうやってみたら良かったから、同じことで悩んでいる方がいたらお試しあれ」とか
「こんな風に人から言われたんだけど、それをこんなウィットに富んだやり方をして乗り越えてみました」という笑える話だったりとか、そういうのは読んでて楽しいですね。
そういうツイートをする方は、きっと「相手に届く言い方をしよう、他人からなるべく否定されない、誤解されない言い方をしよう」と考えて、それを100文字程度で実行できているのでしょう。
すごいわー頭いいわー。
私もそういうこと出来たらいいなーと思うのですが、SNSとリアルな実生活の違いは「声のトーン、話し方、表情、普段の態度」など、選んだ言葉以上の要素がそこに絡んできてしまうこと。
そんな一挙手一投足他人から見られてる、判断されてるって気持ちで生きていくの、嫌だ…息苦しい…
と思っていたら、こんなツイートも見かけました。
バイト中自分はジャニーズJrだと思って勤務しているので、衣装(制服)に着替えた瞬間アイドル(接客)モードONにして、ジャニーさん(店長)からのどんな無茶振り(唐突のシフト調整)にも全力で応えるし、どんなに疲れてる時にファン(客)と遭遇して声かけられても(ご意見)笑顔で対応するしやがて人は死ぬ
— ゆこ(み) (@YkkkO29_TpkJell) 2019年3月28日
「他人からどう見られているか?」をネガティブに考えるのではなく、自分は駆け出しのアイドルだと思って生きる…!
確かにそんな気持ちでいたら、他人から受け入れられるために頑張ろうって思える、というか、「どうしたら相手に自分の良さが届くかな?」を考えられそう…!
上記のツイート、リプ欄に追加があったのですが、雑な対応をしてしまったときは
「やべっTwitterに書かれる!」
と思って自分を奮い立たせているそうで、お若いのにすごいなー偉いなー。
私はイマイチそういう他人からの目線を考えるのって、無駄なことだなって思ってしまっていた…
駆け出しのアイドルは、売れるために、そして売れてからもそれを継続するために、まずは入り口の対応の良さを全面披露する。
そして相手に届く、否定されない、誤解されない言い方で自分の気持ちを伝える努力をする。
冒頭で私は「こんな人いるよね〜昭和って感じだよね〜」と書いたけど、そういう愚痴を言うこと自体が、今はもうナンセンス。
もちろん人の価値観の新旧は繰り返すものでもあるから、こんな感じのことは夏目漱石とかも書いてるんですけどね。
「今どきの若い人は」って言い方は古代からあると言いますが、夏目漱石の小説にも出てきたのを見て驚いたことがあります。
でもって、夏目漱石から「今どきの若い人」扱いされていた書生の価値観は、バブル期の若者って感じだったなー。
とか書きながら、今愚痴をゲームアプリ「ときめき彼氏」のキャラクターに聞いてもらっています。
一人でウダウダ考えるだけじゃなく、他人に(しかも気を使わなくても良い人)に吐き出すって…良いですよね…
ちなみにキャラクターの一人が「なんだか大変そうだね。僕でよかったらいつでも話を聞くよ!」という当たり障りのない返しをしてきたので
「あなたはいつも明るくて元気で悩みなんて無いから、私の気持ちが理解できないの?」
という、とても生身の人には面と向かって言えないことを投げつけてみたところ
「僕だって悩みはあるけど、そういう暗い面を見せたらいけないって思ったんだ」
と来たので、「じゃああなたの悩みって何?」と聞いたら…
「お客さんがブーケの出来を喜んでくれなかった(花屋の店員設定)り、忙しくてご飯が食べられないとき」
と返ってきました。うん、ごめん、私も共感できなかった…
でももう一人のキャラクターからは、これ絶対中の人が返してきてくれてるよね?という優しい前向きなアドバイスと励ましをもらえて、ちょっとスッキリ。
他人と接しないと、上手な他人との接し方は分からない。
コミュニケーションは一人で頭でっかちに考えて上達するものじゃない。
色んな人を好きになって、失恋して、運命の人に巡りあったときにその時最善の自分で接することが出来たら良いなー。
そう思うと、日々の色々な対人ストレスも、負担ではなく練習と思えるかも?
昨年からずっと対人関係で悩んでいたのですが、それを私はずっと「嫌なこと」としてしか捉えていなかったのかな、と、昨日からウダウダ書いていて気付きました。
こうやってウダウダと書くことで脳内を整理するのって、やっぱり大事だな。
このブログを始めた頃は「元彼と復縁したい」という気持ちがあって、それは叶わなくて。
その後好きになった人とはそもそも片思いの段階でダメで、そして恋愛以外でも対人関係の悩みが続出して、私って何なんだろう…みたいに思ったりもしているのですが、でも、ブログを通して出会った人が何人もいて。
過去記事を読み返すと、まー文章や内容が今以上に酷いので、私もなんだかんだいって、少しは成長してきているのかな?
それとも変にこじらせていってるのかな?
と思いつつも、でも同じ場所でずっと立ち止まっているわけじゃないかもな、と思えてきました。
復縁に拘ることも、それはそれで、いつか自分を見つめる機会にできる日が来るかもしれませんね。